10冊目の本、「人間力10倍アップの極意」本日電子書籍で出版しました!

10冊目の本、「人間力10倍アップの極意」本日電子書籍で出版しました!
昨年12月に「現代の3本の矢力 10倍アップの極意」を出版しました。
「現代の3本の矢力」とは、「思考力」、「人間力」、「健康力」の3つで、私の造語です。
「現代の3本の矢力 10倍アップの極意」は、大変評価の高い書籍で、自他共に認める最高傑作と言える書籍と思います。ただし、紙数の制限から、まだまだ書き足りない部分が多数あります。
そこで、「現代の3本の矢力」を電子書籍で補うことにしました。
読者の皆様には、気軽に読んで分で分で頂けるようなボリュームにしました。また、価格も495円とお求めやすい価格設定をしました。
今後、2年間に亘り計8作電子出版する計画です。
今回はその第1弾「人間力10倍アップの極意-本当の自分に忠実に生きる」です。
ただし、出版記念キャンペーンとして、
1日17時~4日16時59分まで無料キャンペーンとしました。
是非このキャンペーンに応募し、「人間力10倍アップの極意」を第1位にして頂けますか。ご協力よろしくお願い申し上げます。

人間力10倍アップの極意: 本当の自分に忠実に生きることであなたの人生は輝き始める! (Ichigoichie出版)
Amazon Services International, Inc.による
詳細はこちら: https://www.amazon.co.jp/dp/B09TJNPJRH/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_KS9N2KPPH2HTTM3SF0SP

| | | コメント (0)

2025年6月23日 (月)

「マーキュリー通信」no.5816【強運に恵まれた私の人生-21「テレマーケティングの新会社創りのプロジェクトリーダーに任命」】


鉄鋼総括部で2年間システムコーディネーター業務を担当し、後任者の引き継ぎが行われ、いよいよ期待した情報産業部門に異動する段となりました。
そして、移動先の上長にも挨拶に行きました。

ところが情報産業部門異動が鉄鋼総括部の内情で半年遅れとなりました。
半年後の1986年11月末に晴れて異動となりました。
ところが移動先の新部署の上司は大阪支店に転勤となっていました。
そこで隣の室の星崎室長が兼任することになりました。

星崎室長は、私より10歳年上、当時47歳でした。情報産業部門中興の祖といわれ、コンピュータ付ブルドーザーと言われるくらいバイタリティーのある人でした。
同室長の所には、新規案件が入れ替わり立ち替わり持ち込まれます。
その中の1つが経営困難になっていたテレマーケティングの会社ナンバー1のベルシステム24の買収でした。
しかし、同社の買収は失敗に終わったので、新たにテレマーケティングの会社を創ることになり、そのプロジェクトリーダーに私は任命されました。

ベルシステム24は、転送電話最大手チェスコムの子会社で、転送電話を使ったコールセンター業務が主体でした。

これに対し、三井物産が創るテレマーケティングの会社は、コスト面で立ち向かうことはできないので、全く別のコンセプトで勝負することにしました。

それはシングルルーム、シングルクライアント制によるコールセンターでした。
クライアント専用の部屋でオペレーターが担当します。
コスト面では太刀打ちできませんが、顧客の機密保持とオペレーションの質では優ります。

当初、稟議申請の段階で、テレマーケティングの新会社設立は猛反対にあいました。
しかし、当時の三井物産江尻社長が、星崎室長の柔道部の先輩という人間関係で、同室長が社長として赴任することを条件に稟議許可が下りました。社名は㈱もしもしホットラインと命名されました。

通信の自由化で、長距離電話、国際電話他多数の新電電が設立されました。
当時NTTのフリーダイヤル0120サービスがスタートしました。
㈱もしもしホットラインの社名は一切出ませんが、各新電電のコールセンターの代行業務を引き受けていくことになりました。
この頃、DOCOMO他携帯電話会社が設立され、そちらのコールセンター業務も拡大していきました。

通信の自由化により情報通信の市場は急拡大していきました。
その波に乗り、㈱もしもしホットラインは、年商1000億円の東証一部上場企業に急成長していきました。
上場時500億円のキャピタルゲインが原資となり、三井物産の企業年金の一部となっています。

今では顧客の機密保持は当たり前の時代ですが、当時はそのようなコンセプトはありませんでした。
時代の先を行っていたので、それが㈱もしもしホットラインが急成長した要因の1つと思っています。

同社は、その後りらいあコミュニケーションズ㈱に社名変更。
その後、テレマーケティングの業界は成熟市場となったので、KDDIの子会社KDDIエボルバと経営統合し業界首位となり、上場廃止、2023年9月アルティウスリンクとして再発足しました。
稟議申請時、将来テレマーケティングの会社ナンバーワンになるとの夢を抱きましたが、2年半前に、その夢が実現しました。

本日は、㈱もしもしホットラインの創立記念日、38年となりました。38年の間に激変の時代を感じています。


星崎室長は、㈱もしもしホットラインの設立後、本社の業務引継をして、4ヶ月遅れで同社の社長専任となりました。
その間、組織構築、給与体系、人事制度、事務所選び、什器備品の調達、新規営業開拓業務、新卒採用等全て私に任されました。
三井物産には25年間在籍しましたが、新会社作りから出向後の4年4ヶ月間、人生で一番力がついた時期でした。

鉄鋼部門から異動したばかりで、新会社設立の経験が全くない私をプロジェクトリーダーに抜擢してくれた当時の星崎室長に今でも感謝しています。
星崎治男氏には直属の上司として7年間仕えましたが、私に一番影響を与えた物産マンでした。

◆◆◆◆◆◆追記◆◆◆◆◆◆◆

テレマーケティングの新会社作りには、買収期間も含め7ヶ月間を要しました。
その間、私は新電電の新規営業開拓業務もやっていたので、新会社作りは、毎朝6時に出社し9時までの3時間と、終業後の5時半から深夜まで毎日のようにやっていました。
心身ともにぼろぼろの状態でしたが、業界ナンバーワンの新会社を創るという夢に向かって全力投球していました。

新会社の社名は稟議書では日本テレマーケティング(仮称)と書いていました。
ところが途中から、星崎室長が株式会社もしもしに変えてしまいました。
その後、もしもしの画数は8画で縁起が悪いから23画の社名に変更しようということになりました。
そこで私のアシスタントの女性が㈱もしもしホットラインを提案して、それが採用されました。

星崎さんの名前は治男です。治男はハローと読めます。そこからもしもしになったと私は推測しています。同氏に聞いたのですが、明快な答は得られませんでした(^人 ^;)

なお、もしもしといえば、亀、亀の歩みはのろいが最後は勝つ、だから私は同社のロゴを亀のマークにすることを提案し、星崎社長の了解を取り付けました。
今でも亀のバッジを大切に保管しています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

| | | コメント (0)

«「マーキュリー通信」no.5815【強運に恵まれた私の人生-20「鉄鋼総括部でシステムコーディネーターを経験」】