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2005年2月15日 (火)

「マーキュリー通信」no.68【母の命日50周年に思う】

 本日は、母が他界してから丁度50年に当たります。母は私が5歳の時に、30歳の誕生日を迎えた直後に白血病で亡くなりました。

 母との思い出は、若い頃の母を写真で知る限りで、実際の母の顔はイメージとして浮かんできません。それ以外では、にんじんの千切りに炒り卵の料理が美味しかったとか、私が悪戯をしてお仕置きで物置に入れられたりといった断片的な思いでしかありません。母は、美人で、聡明で、限りなく優しく、厳しい人で、私にとっては理想の女性像です。

 本日、母の墓前で新たに誓いました。三井物産を8年前に退職して、第2の人生は自分のこれまでの経験を活かし、「世の為、人の為」に生き、思いっきり社会貢献していきたい。その為の具体的な実現として、寝たきり痴呆老人のいない老人ホーム「ユートピア館」を建設し、少子高齢社会に貢献していきたいと新たに誓いました。

 そして、本日思ったことがもう1つあります。人間は必ず死ぬ。私自身現在55歳ですが、どういう状態で死ぬかという死生観を改めて確認したことです。実は、2月15日はお釈迦様の入滅の日とされており、これも何かの縁と感じています。

 お釈迦様は、「死後の世界」と、「転生輪廻」の事実を説きました。死後の世界があると信じるかどうかで人生のとらえ方が180度違ってきます。
 私は、百歳まで生涯現役で生き、世の為人の為に思いっきり生きて帰天したいと思っています。死んだら誰でも三途の川を渡ります。三途の川を渡ると、生前、縁のあった方が迎えに来ます。私が一番会いたい人は、もちろん母親です。そして、母親から、「信雄、よくやった、おまえの今回の人生は合格点をやるよ」と言って迎えて欲しいと思っています。死後の世界があると思う思わないは本人の勝手です。しかし、死んだら全て灰になってしまうと思うのと、死後生前自分と縁のあった人と再び会えると思ってわくわくしながら死ぬのとでは、この世の生き方が俄然違ってきます。

 又、最近死とは仏が人間に与えた慈悲と感じています。もし、死というものがなく、人間が永遠の生命を得てしまったらどうなるでしょう。そう考えただけでお年寄りであふれかえった社会となり、実に困った社会となることは予想されます。やはり人間歳をとり、世の中の役に立たなくなった時点で、あの世に還ることができて幸福なのです。
 そして、あの世で数百年過ごして、又この世に修行のために生まれ変わってくる、いわゆる転生輪廻の思想ですが、これがあるので、人生何度もやり直しがきき、自己成長が期待できます。ここにも仏の慈悲を感じます。

 この死後の世界と転生輪廻の法則を知ったときに、自分の人生観及び死生観が百八十度変わってきます。いわゆる老後とか定年後とかいった考え方がなくなってきます。私の場合、人生百年をどうやって生きていこうという思いに変わり、百年の人生計画を立て、その百年の人生をわくわくしながら生きていくことができます。

 但し、百年を生きず、途中で帰天することもあります。しかし、人生いつもわくわくしながら生き、帰天するときも自分の一番会いたい母親に会えると思うと、死に対する恐怖はなく、いつ死んでも悔いがないという死生観と人生観にたどり着いてきます。

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