« 「マーキュリー通信」no.100【マーキュリー通信を発信して100号】 | トップページ | 「マーキュリー通信」no.102【プロ野球セ・パ交流試合開始】 »

2005年5月 7日 (土)

「マーキュリー通信」no.101【心の塵・垢をとる】

 経営者は傍から見ている以上にストレスが溜まるものです。
 そこで、ゴールデンウィークの真ん中である5月3日~5日に、2泊3日で日光にある研修施設に泊まり、日頃溜まった心の塵・垢をとってきました。研修内容は、釈尊の説いた八正道です。参加者の魂の傾向性を切り口に、八正道の8つの徳目である正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の順で反省していきます。
 正見とは、「正しく見る」ことですが、仏教的にいうなら、「原因結果の法則」です。別の言い方をするなら「縁起の理法」です。過去の失敗、現在の苦しみ等は、この世に産まれてから己が自ら撒いてきた種の結果です。これは仏教の基本原則である「自己責任の原則」です。それは、各人の魂の傾向性に基づき、種が蒔かれてきます。そして、研修ではその魂の根っこの部分を見つけます。多くの場合、それは両親との関わり合いにあることが多いです。
 私の場合も、父親と母親でした。私は、目黒区の祐天寺で裕福な家庭の長男として産まれました。しかし、父が株で騙され、家業である瀬戸物の卸は倒産しました。その結果、一家は貧乏のどん底に落ち、調布の実家(母方)の土地に6畳一間の小さな家を建ててもらい、そこに産まれたばかりの妹と4人で住みました。
 倒産にショックの父は、仕事をせずに、赤と青の色鉛筆を持ち、毎日競輪新聞とにらめっこをし、賭で儲けてやろうと必死でした。間もなく母は過労で倒れ、私が5歳の時に白血病で亡くなりました。母の死にショックを受けた父は、翌年1つ年下の妹と私を残して、家出をしてしまいました。
 私と妹は実家に預けられ、祖母の下で育てられました。このような環境下におかれたら、ぐれる子供もいますが、私の場合、精神的に落ち込むこともなく、明るくのびのびとした屈託のない少年でした。又、父を恨むことも一切ありませんでした。

 時が過ぎ、10年後、私が高校2年生の時に、父が突然現れました。父は肉体労働者として日焼けし、多少酒気を帯びていました。殆ど無一文に近い状態でした。父が現れたので、伯父は一緒に住むことを勧めましたが、祖母は大反対です。そこで私に、「信雄、どうする?」と聞かれたので、私は、「親子だから一緒に住むべき」と、淡々と無表情で応えました。それから父親と妹との3人暮らしが始まりました。それまでの10年間、実家で世間並みの暮らしをしていましたが、又貧乏に逆戻りです。
 私はその時誓いました。魂の叫びがありました。「絶対父親のような人生を送りたくない!それには、一生懸命勉強して、国家の役に立つような人物になりたい!」。そこから私の猛勉強が始まりました。そして、一橋大学商学部に現役で合格し、三井物産?鰍ノ就職しました。三井物産?鰍ノ入社してからも、絶えず目標を設定し、それに向かい努力しました。
 新入社員の時に英会話教材セットを25万円で購入しました。当時の25万円は、初任給47千円の時代でしたから、かなりの高額でした。この投資を無駄にしないために、毎日15分間の勉強を続けました。その努力が実り、海外駐在のために必要な英語の社内資格を同期の連中より早く取得しました。そして、31歳の時、カナダ駐在となり、これが私にとり大変貴重な経験となりました。又、三井物産?鰍ナも3年毎に様々な部署を経験させて頂きました。

 「大きな目標を立て、その目標に少しでも近づくために、小さな目標を立て、その目標に向かい努力し、目標を達成する。そして、一歩一歩人生の階段を上っていく」という私の人生哲学の型ができあがりました。
 さて、私も人生において多くの失敗をしました。父が、大きな失敗をしたために、家業を倒産させたという苦い思い出があります。その為、「若い頃は、小さな失敗は寧ろ進んでしよう、その失敗を肥しや糧にして自己成長に繋げていこう」という考えをもっています。

 ここで八正道の2番目の徳目、「正思」がでてきます。「正思」とは、「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)慢、疑、悪見」という人間の六大煩悩で自分の思いに間違いがないかを観ていきます。私の場合、失敗のパターンを観ると、この六大煩悩の内、4番目の慢が多いです。即ち、成功パターンが続くと、自信過剰になり自惚れ心が出てきます。その時はそう思わなくても、後々振り返ってみると、憎上漫になっている自分を恥じいます。その時が転落の始まりということに後から気付きました。又、自分の実力以上のことにチャレンジして失敗することもままありました。これは過ぎたる欲望で、貪欲(とんよく)といいます。そして、3番目の癡(ち)、つまり物事をよく知らない愚かな自分も見えてきました。

 この最初の2つの徳目である正見と正思がしっかり出来ると、後は「思いの部分」から発せられた正語(正しい言葉)、正業(正しい行い、判断)、正命(正しい生活習慣)がきっちと反省できてきます。そして、正精進(正しい努力精進)、正念(仏に向けた正しい念い)という思いの方向性をしっかりと定め、その後正見から正念をやることで正定(正しい瞑想、禅定)といくことが出来ます。
 このころになると、いつの間にか心の塵や垢はとれ、心身共にすっきりとしてきます。私にとっては心の洗濯がしっかりとでき、明日へのエネルギーがわいてきた貴重な3日間でした。

| |

« 「マーキュリー通信」no.100【マーキュリー通信を発信して100号】 | トップページ | 「マーキュリー通信」no.102【プロ野球セ・パ交流試合開始】 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「マーキュリー通信」no.101【心の塵・垢をとる】:

« 「マーキュリー通信」no.100【マーキュリー通信を発信して100号】 | トップページ | 「マーキュリー通信」no.102【プロ野球セ・パ交流試合開始】 »