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2005年10月17日 (月)

「マーキュリー通信」no.213【私を育ててくれた元上司達-1「株式会社もしもしホットライン初代社長星崎治男氏】

 私を育ててくれた元上司達-序論のところで、私は三井物産に25年在籍し、10の異なった職場を経験させて頂いたことをお話しさせて頂きました。

 職場の異動毎に、階段を1歩1歩上る感じで力を付けることができました。その中で、自分の力がエレベーターで一気に上るような感じで実力がついた時期が2回ありました。それがテレマーケティングの新会社株式会社もしもしホットライン創業に関わる経験と、カナダ三井物産駐在時でした。

 物産マン時代、約50名の上司に仕えました。上司といっても直接コミュニケーションのある部長までを上司としてカウントしました。 その中で、真っ先に挙げる上司が星崎治男氏です。皆が星さんという愛称呼んでいるのでここでは星さんと書きます。
 私は星さんの直属の部下として86年11月~94年2月まで7年仕えました。私の上司の中では、最長の期間仕えた上司でした。 星さんを、戦国武将でたとえるなら織田信長タイプのリーダーで、コンピューター付きブルドーザーといった感じの上司で、未開の荒野を持ち前の馬力で開拓していく上司した。三井物産?兜?産業部門中興の祖に当たる人です。その人の直属の部下として7年間仕えることができたのは、私にとり最高にラッキーでした。
 私が30代後半から40代前半にかけて仕えた上司でしたが、毎日のように雷を落とされていました。今でも、星さんから、「スガヤ-」と数百メートル先まで聞こえる程大きな声で怒鳴られ、呼びつけられる声が懐かしく聞こえてきます。 多分星さんに仕えた部下数百名の中では、一番雷を落とされたのではないかと思います。それほど厳しく鍛えられましたが、その中で自分自身の実力が確実に上がっていく喜びも実感できました。

 星さんから学んだことはそれこそ数え切れないほどありますが、その一部を挙げるなら1.企業買収の際に、コアとなる事業を見抜く力と、その具体的な収益構造を見極める鑑識眼2.人心掌握術&リーダーシップ3.各種情報から事業を組み立てていく能力 星さんとは能力も性格も全然違うので、そっくりそのまままねるわけにはいきませんが、現在の私のマネジメントスタイル、スキル、事業企画、推進力等はかなり星さんの部下として仕え、その中から私なりに吸収していき、師匠とは違った菅谷信雄独自のスタイルに築き上げていきました。

 星さんと一緒に仕事をさせて頂いた中で、一番の思い出は、テレマーケティングの新会社株式会社もしもしホットラインの創業です。私が、鉄鋼部門から情報産業開発部に異動した直後の86年12月頃、テレマーケティング最大手ベルシステム24買収の話がきました。しかし、CSKにもダブルオファーされたので、ベルシステム24はCSKのオーナー故大川功氏の鶴の一声でCSKに買収されることとなりました。 年が明けて、1月にベルシステム24の副社長以下15名のアンチ大川一派が再び星さんの下を訪ね、新しい革袋の下、テレマーケティングの会社を物産と一緒になって創って欲しい旨協力要請がありました。
 当時、物産ではテレマーケティングの会社など馴染みがなく、稟議申請の時にテレクラと勘違いして、反対した人もいたくらいでした。それを星さんの押しの強さと、物産幹部への根回しで、この難しい稟議を通してしまいました。
 私は、星さんからの指示で、現場の責任者として、資金調達、組織作り、就業規則、給与体系作り、そして新会社ができる目処がついてからは、テレマーケティングの新規事前営業、事務所探し、什器備品の調達、採用面接、そして、営業担当役員として出向し、経営のイロハも星さんから教わりました。当時私は新電電の営業もやっていたので、新会社作りは通常業務を終わった後にやっていました。その後、忙しくなってきたので、新会社作り一本でやりましたが、一番苦労したのが、その年9月に新電電のサービス開始が予定されていたので、各社のカスタマーセンター業務受注が急務で、その為、新会社を1日にも早く創るのが至上命令でした。
 その為、最後の3ヶ月間は、毎日深夜まで仕事をして、毎晩タクシーで自宅に帰り、朝はシャッターが開く6時には出社する毎日でした。私自身心身共にぼろぼろでしたが、最後は気力を振り絞り、何とか新電電のカスタマーセンター業務受注にこぎ着けることができました。そうした難産の末、今から18年前の87年6月23日に誕生したのが株式会社もしもしホットラインでした。

 株式会社もしもしホットラインは、今では従業員15千名(内正社員約550名)、東証一部上場企業となりました。稟議申請時には、従業員持ち株制度を提案しましたが、物産からの出向組は対象外となりました。 株式会社もしもしホットライン創業に際し、私自身金銭的なメリットは一切受けませんでしたが、同社創業に際し経験したことは、それこそ億単位の価値があるといえます。それが現在の私の一番の財産となっています。
 こういうチャンスを与えて頂いた星さんには、感謝の思いでいっぱいです。こうやって文章を書いていても、当時のことを思い出し、胸が熱くなってきます。株式会社もしもしホットラインは、私にとり物産マン時代の一番の思い出であり、心のふるさとであり、宝でもあります。

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