« 「マーキュリー通信」no.253【ジョン・レノン追悼25周年】 | トップページ | 「マーキュリー通信」no.255【裏帳簿のススメ】 »

2005年12月10日 (土)

「マーキュリー通信」no.254【私を育ててくれた元上司達-5 三井物産元常務木下禎一氏】

 当時の三井物産では、課長代理(入社11年半)に昇格する前までに3つの異なる部署を経験することを義務づけられていました。 私の場合、開発会計、国内鉄鋼営業(鉄鋼建材部)を各3年経験した後、希望が叶い石炭部に異動となりました。その時の上司が木下禎一氏(当時室長)でした。

 石炭部には、海外研修員制度があり、若手部員は皆それを目指していました。私はカナダ炭担当だったので、北米研修員制度にエントリーされました。
 研修員は、本来は石炭部の業務を3年経験してから、赴任することになっていました。しかし、その年の候補者が英語試験に不合格となり、私が繰り上げ当選となり、石炭部の業務経験僅か2年半で研修員となりました。北米研修員は、カナダ、米国の炭鉱、港湾業務、契約業務等をそれぞれ3ヶ月経験することになっています。
 カナダ三井物産バンクーバー支店、山ごもり(炭鉱で、地質学、鉱山学、エンジニアリング、環境他)で各1ヶ月半の研修を終えて、カルガリー出張所に着いたら、当時の穴澤所長から北米研修員からカルガリー出張所に異動することを告げられました。
 当時、カナダ三井物産では、新日鐵始め日本の大手鉄鋼会社とカナダ資本とのストレートジョイントベンチャー(uninco J/V)であるグレッグリバー炭の15年契約がまとまりました。更に、ラインクリーク炭の15年契約も成立したため、現地店は猫の手も借りたいくらい超多忙でした。 そこで、北米研修員でカナダにいた私に白羽の矢が立ち、6ヶ月の研修期間を3ヶ月に切り上げ、急遽カナダ三井物産への異動が決まりました。

 しかし、石炭部の業務経験2年半と浅い私の勤務に反対論もありました。それを当時の木下室長が、「菅谷はまだ荒削りだが、バイタリティがある。彼の頑張りに期待しよう」ということで、反対論を押し切って、私のカナダ異動が決まりました。カナダ研修員の3ヶ月で私の英語力は急成長していました。特に、炭鉱内の1ヶ月半、周りは全てカナダ人のため、英語漬けとなった為、英語で全て考え、話し、書く習慣ができました。この3ヶ月の研修員研修が、カナダ駐在の大きな力となりました。
 カナダ駐在は3年半でしたが、この期間、カナダ人との契約交渉を始め各種業務をこなし、私の物産マンとしての能力は大きく開花できました。それも木下さんの決断のお陰で、私に海外赴任のチャンスが回ってきました。高校2年生の時に、将来世界を股にかけるビジネスマンになりたいと思い、三井物産に就職しました。そして、木下さんのお陰で私の夢は叶えられました。木下さんには今でも感謝しています。

 木下さんは、実力も人望もある方で、誰しもが当然石炭部長になると思っていました。しかし、当時の石炭部長と馬が合わず、見送られました。しかし、その後ガス部長に横滑りし、最後はエネルギー部門の担当役員(代表取締役常務取締役)まで昇格されました。
 当時、木下さんの実力をきちんと見ている物産幹部をさすがと思いました。

| |

« 「マーキュリー通信」no.253【ジョン・レノン追悼25周年】 | トップページ | 「マーキュリー通信」no.255【裏帳簿のススメ】 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「マーキュリー通信」no.254【私を育ててくれた元上司達-5 三井物産元常務木下禎一氏】:

« 「マーキュリー通信」no.253【ジョン・レノン追悼25周年】 | トップページ | 「マーキュリー通信」no.255【裏帳簿のススメ】 »