「マーキュリー通信」no.330【私を育ててくれた元上司達-6三井物産元副社長池田正雄氏】
中曽根内閣の時に、電電公社を民営化してNTTになることが決定しました。三井物産でもこれに呼応して情報産業開発部を1984年4月に発足することになりました。
当時私はカナダ三井物産に石炭部の駐在員として在籍していました。世界を股にかけるビジネスマンに憧れ、念願の海外駐在員として活躍の場を与えられました。
しかし、石炭部の海外駐在員の仕事は、日本の鉄鋼大手、電力会社、セメント会社の社長以下が海外炭鉱視察に訪れ、そのアテンドが重要な仕事でした。食事、酒、麻雀、ゴルフの接待、カナディアンロッキー観光の案内は相手が重役なので、皆かなり気を張ってアテンドしていました。
一応そつなくこなしていましたが、「自分自身何か違うぞ。男芸者をするために三井物産に入社したのではない」という思いが強く出ていました。
そういう状況の中、当時カナダ三井物産社長池田正雄氏に、情報産業開発部に異動させて欲しい旨直訴しました。池田社長は、「判った、君の希望を叶える。その前に大手鉄鋼メーカーとの企業間オンラインシステムの仕事が急を要しているので、そちらの仕事を手伝ってからにしなさい」と言われました。
その後、私は直ちに、84年5月1日帰国し、鉄鋼総括部システム統括グループに異動となりました。そこで2年半システムコーディネーターとして、鉄鋼メーカーとSE(システム・エンジニア)との間に入り、調整役として業務をこなしました。このシステム・コーディネーターとしての経験が、その後の情報産業部門での仕事に活かされました。
もし、あの時池田社長から情報産業部門への異動を却下されていたら、私は三井物産を辞めるつもりでいました。その意味では、池田社長は私にとっての恩人で、今でも池田社長の英断に感謝しております。
池田社長は上司、仲間、部下からマイク池田と呼ばれ、人気のある方でした。そのマイク池田とのエピソードを2つほど披露致します。
カルガリー所長宅でカラオケを歌った時のことです。当時は、8トラックの時代で、画面などありません。マイク池田は演歌が好きで、マイク片手に自慢ののどを披露しました。さて、自慢の演歌を歌ったのは良いのですが、カラオケ伴奏に合わせ、違う演歌を歌い、最後まで歌い通してしまい、後で気がつき、一同大爆笑o(^▽^)/"
次に、カルガリーでは、毎年7月にカルガリー・スタンピードというカウボーイ祭り(ロデオ)が開催されます。カルガリー・スタンピードでは皆ジーンズを履きます。
私はマイク池田のジーンズを買いにお供しました。マイク池田のウェストは1m近くあるのでしょうか。一方、背丈はずんぐりむっくりで1m60ちょっと。ウェストに合わせてジーンズを購入したら、ジーンズが忠臣蔵の松の廊下に出てくるような袴の長さとなり、脚の長さの倍くらいになってしまいました。ジーンズの裾を切りましたが、ジーンズと言うよりジーンズもんぺといった感じで、これまた皆の大爆笑を誘いました (=´Д´=)(写真は2列目中央が池田カナダ三井物産社長)
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