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2006年3月17日 (金)

「マーキュリー通信」no.332【私を育ててくれた元上司達-7「三井物産元化学品経理部長田島貞雄氏」】

 三井物産に内定した時に、当時世界を股にかけるビジネスマンを夢見ていた私は、希望部署記入欄に営業を希望しました。それも海外で活躍できるような部門を希望しました。
 しかし、当時の三井物産に対する新入社員教育方針は、入社してからの3~4年間は、経理、財務、審査、運輸等の本部の業務を経験させることが基本方針でした。

 そして、実際に配属された部署は、私が入社した日に新しくできた開発本部管理会計部開発会計課でした。会計は私が一番行きたくない部署だったのでがっかりしました。開発会計課の直属の上司は、当時課長代理だった田島貞雄さんでした。
 当時三井物産の会計業務は、機械化に移行の頃でした。私が所属した開発会計課は、新しくできた開発本部の営業会計業務で、機械化になじむ鉄鋼会計、なじまない開発会計等多岐に亘る会計業務でした。

 一橋大学商学部出身の私は、簿記は多少勉強し、教養部のゼミは管理会計でしたが、実際の会計業務には大学で学んだことは殆ど役に立ちませんでした。
 毎日覚えることばかりでした。毎日決まった仕訳ばかりある鉄鋼会計以外に、デベロッパーの開発業務に関する会計業務は、かなり広範な知識を求められました。しかも、海外の開発案件もありました。従って、営業から起票される伝票に対し、どの勘定科目にすべきか、経理処理マニュアルと首っ引きで考えさせられることが多い会計業務でした。

 しかし、私にとってラッキーだったのは、田島さんという管理会計部では一番優秀な上司に仕えたことでした。田島さんは、私からの質問にいつも懇切丁寧に答えてくれました。田島さんは、温厚な人柄で、優しく、丁寧で、周りの人からも好かれていました。実力的には、三井物産の役員までいく力量の持ち主でしたが、惜しむらくはヘビースモーカーで、その為52歳の時に肺ガンで他界されました。

 私自身現在世界最小の総合商社の経営者として、会社の決算も自ら作成し、又、4社の経営コンサルタント業務もこなしていますが、会社の財務諸表を見て、会社の経営状態を把握できるのも、新入社員の時に会計に配属され、3年間田島さんという優秀な上司の下でしっかりと会計の経験ができた賜と思っています。その意味で、三井物産の人事政策と当時の上司田島さんには今でも感謝の思いで一杯です。

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