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2006年5月23日 (火)

「マーキュリー通信」no.386【日本人の精神的荒廃を考える-8 ソニー創業者故井深大氏の「心の教育」に学ぶ】

 ソニー創業者故井深大氏の「心の教育」(ごまブックス1365円)という本が復刊し、書店で目にしたので購入しました。 井深大氏といえばソニーの創業者のイメージしか残っていませんでしたが、最近ゼロ歳児教育始め教育者としての井深大氏の一面を知り、人間としても素晴らしい方だと再認識しました。
 詳しくは井深大氏の名著を是非味読して頂けたらと思いますが、本書の中で私が共感した部分の一部をピックアップさせて頂きました。

 欧米の教育は、合理主義一辺倒で知識の習得を第一義と思っていました。しかし、ヨーロッパでは、子供は神の手から親に教育を委ねられたという考え方があります。それだけに重要な使命を帯びた母親は、神の代理人としての威厳と権威を求められます。 母親の厳しいしつけを受けたヨーロッパの子供達は、長じるに従い、教会の日曜学校などで宗教的な倫理観や道徳観念を繰り返し教育されます。 一見して合理主義一辺倒に見える西欧の学校教育も、日常的な宗教教育が基盤にあって初めて成立しているわけです。 西欧社会の全体的な教育システムにおいては、学校教育と家庭や教会での宗教教育とは、切っても切り離せない相補的な関係にあります。幼児期における宗教教育によってしっかりした人間性を形成し、その上に合理的な知的教育を行うこと、これが西欧の教育システム全体が理想とする本来の教育プランでした。

 かつての日本人は、大家族制度の中で厳しくしつけられることによって、人間形成の基礎をたたき込まれ、寺子屋の徳育教育によって、人が禽獣にならないための人間性を教育されていました。そうした教育システムの成果が、親孝行や恩返しといった人間の普遍的価値を日本人の国民性として植え付けることになった。「思いやり」という言葉も、まさにこうした日本の国民性を代表する言葉でした。

 ところがこうした教育理念は、明治以降の「追いつけ追い越せ」を目標に定めた教育の中で、次第に忘れられていきました。特に戦後は、家族制度が崩壊し、しつけが学校教育に吸収され、形骸化していった。その結果が今日見られる様々な教育問題であり、世界一「思いやり」のない国民だという批判が出てきました。

 明治以降の教育は、知的教育という半分の教育しか追求してこなかった。もう半分の心の教育、人間性教育としての「人間作り」を置き忘れてきた。「教育とは何か」という教育本来の目的を真剣に問い、後半分の心の教育に目を向ける必要があると、井深大氏は声を大にして主張しています。

 終戦の詔勅を書いた安岡正篤先生も、江戸時代の人間性教育が明治以降忘れ去られ、人間性を欠いた為政者に取って代わられるようになった。日進日露の戦争まではまだ人間性教育の遺産が効いていたが、大東亜戦争の時には殆ど失われ、日本を間違った道へと突き進むことになったと主張されています。

 名著「世界が裁く東京裁判」の著者佐藤和男先生も、GHQが日教組を作り、日本の教育をだめにした。同じ事を安岡正篤先生も主張されています。

 シリーズ「日本人の精神的荒廃を考える」の中で私が一番強調したい事は、置き去りにされた「心の教育」を取り戻すこと。これなくして日本の教育改革はありえません。このような基本中の基本を抑えていないため、「ゆとり教育」といった間違った改悪を平気でやってしまう。 今は、英語教育を小学校からさせるとか、六三制の見直しとかいった議論が出ていますが、「日本人の精神的荒廃」の根本原因に「心の教育」を忘れていたことだと認識し、このことを真剣に議論して欲しいと思います。

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