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2006年5月29日 (月)

「マーキュリー通信」no.391【日本人の精神的荒廃を考える-9 「国家の品格」】

 現在数学者藤原正彦先生の「国家の品格」(新潮新書714円)が200万部を超す大ベストセラーとなっています。

 私は、シリーズ「日本人の精神的荒廃を考える」で戦後の日本人の精神的荒廃を憂えている一人です。しかし、全てネガ一色で書いているわけではなく、又、私自身基本的にはプラス思考の人間なので、その中に希望の光も見いだし、積極的な提言も行っています。「国家の品格」といった書籍が売れていること自体、現在のような状況はいけないと思っている日本人が少なからず存在している証拠で、日本人の精神的な良さはまだまだ残されているわけです。

 さて、藤原氏は、数学者らしく、近代的合理的精神の限界を指摘しています。「論理的」といった言葉の危うさをあげています。論理だけの世界で、国や社会、産業が破綻してきた例は枚挙にいとまがないことを実証しています。 独裁者ヒットラーですら、ドイツ国民の正式な選挙で選ばれ、国会の多数決の原理に従い首相に選ばれたわけです。そこには論理的矛盾は無かったそうです。

 日本の最近の例では、「英語教育」を挙げています。現在9割の小学校で英語教育が実施されていますが、これも小学生から英語を教えれば、より早く英語が上達するという論理に基づいており、論理的には一見問題がなさそうに見えます。 しかし、藤原氏は、日本人として日本の歴史、文化等をしっかりと理解していないうちに小学生に英語を教えるのは本末転倒の論理であり、日本を滅ぼす恐ろしい教育改悪になりかねないと憂えています。こういう論理も成り立つわけです。

 日本は明治以来自由、平等、民主主義を取り入れてきました。しかし、自由と平等は本来相矛盾するものです。人間を全く自由にさせたら、格差が拡大し、平等とはほど遠いものになっていきます。 一方、民主主義もこれほど危ういものはない。民主主義とは、本来国民が成熟していて初めて成り立つものだが、国民は永遠に成熟しない。
 従って、真のエリートにより政治経済社会をリードしていくことが望ましい。明治維新を見れば、ごく少数の国を思うエリートが日本を引っ張ってきたことでもそのことは証明されている。

 真のエリートには2つの条件が求められる。 1つ目は、文学、哲学、芸術、歴史、科学といった一見何の役にも立たないような教養を身につけていること。そうした教養を基に、庶民とは比較にならない圧倒的な大局観や総合判断力を持っていること。
 2つ目は、いざとなれば、国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があること。その意味では、東大卒を中心とした官僚は真のエリートとはいえないわけです。

 さて、藤原氏は、今日本人に求められているものは武士道の精神の復活であることを力説しています。武士道の精神の中核として側隠(ソクイン)をあげています。側隠とは、弱者、敗者、虐げられた者への思いやりです。人々に側隠の情が充分あれば、差別など無くなり、平等というフィクションも必要なくなる。差別を本当に撲滅しようとするなら、平等という北風でなく、側隠という太陽でもって民に接することです。 その証拠に、「平等」の旗手米国では貧富の差が非常に大きいのです。

 最後に、日本は普通の国を目指すのではなく、「異常な国」を目指せと藤原氏は力説する。普通の国とは結局米国型の普通の国を指すわけだが、そうではなく、藤原氏が理想とする「国家の品格」をもった異常な国を目指せと言う。
1.独立不羈の精神 米国の属国から脱皮し、自らの意志に従って行動できる独立国を目指す。世界に誇る日本の美しい情緒や形に触れることで、戦後失われた祖国への自信と誇りを取り戻す。
2.高い道徳心 昭和の初期の頃まで、日本に滞在した外国人は異口同音に日本人の道徳心の高さを称えていたそうです。
3.金銭至上主義に冒されていない美しい田園、情緒のある国となる4.天才の輩出 その為に、一見役に立たないと思われるような学問、芸術、文化等から精神性を学ぶ土壌を涵養することが重要。こういう精神的風土から真のエリートを輩出する。

 日本は、金銭至上主義を何とも思わない野卑な国々とは一線を画し、国家の品格をひたすら守るべきだ。 大正末期から昭和初期の駐日フランス大使詩人ポール・クローデルは、大東亜戦争で日本の敗戦が濃厚になった頃、「日本人は貧しい。しかし、高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」と言ったそうです。

 日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務といえる。ここ4世紀ほど世界を支配してきた欧米の教義はようやく破綻を見せ始めた。時間はかかるが、世界を本格的に救えるのは、日本人しかいないと藤原氏は最後に締めくくっています。
 皆さんもどうかこの名著を味読し、日本人としての自信を回復し、日本民族として生まれたことに誇りを持って欲しいと思います。

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