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2006年6月14日 (水)

「マーキュリー通信」no.401【その時人生が動いた-2「別れても好きな人」】

私自身、子供の頃から学級委員長を務めるなどリーダーとしては皆から頼りがいにされてきました。 しかし、こと女性のことになるとプラトニックな片思いのことが多く、「菅谷さんっていい人」と言われてお終いでした。
 私の場合、5歳の時に母親を亡くした為に、女性に対し自然と理想の母親像を求めていました。これが持てない原因の1つのようです。

 そんな私でしたが、私が26歳の時に三井物産府中寮のテニスコートで出会ったA子(当時21歳)に一目惚れし、全力でアタックし、見事ハートを射止めました。 彼女とは、毎日のように会い、デートから帰宅した後も、電話でラブコールを楽しんでいたので、多い時には1週間に10回位会ったり、電話で話したりしていました。彼女の22歳の誕生日には、自作自演の歌をプレゼントし、代々木公園でギター片手に披露しました。

 30年前の3月、那須塩原のスキー場で私は脚をくじき、スキーができなくなりました。彼女もスキーを止めて、私と一緒にいました。その時彼女は私に向かって、「ボブのバカ!バカ!バカ!」とさんざん悪態をつきました。今ならこの程度の戯れ言は、「可愛いやっちゃ」と軽く受け止められたのですが、当時の私は、このような場合の女性の対応が下手で、彼女の悪態をそのままストレートに受け止めてしまいました。

 スキーから帰ってから彼女とデートをしても何か楽しくありません。そこで、彼女に、「別れよう」と話し、別れることになりました。
 別れた後、男としてふがいない自分に自己嫌悪し、そして物凄い後悔に襲われ、暫く立ち上がれませんでした。彼女も私も恋愛下手で、お互いに初めての恋人同士でした。

 その後立ち直った私は、「今度自分が本当に愛する人が出てきたら、絶対泣かすことはしないぞ!」と心に誓いました。そして、精神的にも未熟な自分を反省し、結婚はもっと精神的に大人になった30歳の時にしようと決めました。
 そして、今の妻と29歳の時に出会い、30歳で結婚しました。妻とは結婚して27年がたちます。物産マン時代の上司から、「病弱で子供も産めないような女とは早く別れろ」と言われたこともありました。又、海外勤務、国内栄転の話もありましたが、出世よりも妻を選びました。

 A子との出会いと辛い別れが、私を精神的に大きく成長させてくれました。そして、女性の気持ちをより理解できるようになりました。その意味では、A子には感謝の思いで一杯です。
 30年前の6月の丁度今頃はA子と別れた時でした。しかし、その時点で、私の女性観ができあがった時でした。そして、私にとっては人生が大きく動いた時でした。

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