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2006年6月23日 (金)

「マーキュリー通信」no.408【その時人生が動いた-3「テレマーケティングの新会社 株式会社もしもしホットライン創業」】

 本日は株式会社もしもしホットラインの創業19年目の記念日です。
 私が三井物産の鉄鋼部門から情報産業部門に異動してまもなく、テレマーケティングのパイオニア ベルシステム24買収の話が来ました。しかし、CSKにもダブルオファーがあったので、創業者でワンマンのカリスマ社長大川功氏の鶴の一声で、CSKが買収しました。

 その後、アンチ大川氏のベルシステム24経営陣が三井物産を訪れ、新しいテレマーケティングの会社を三井物産主導で創って欲しい旨要請がありました。 その時私が担当者に任命されました。テレマーケティングは、当時米国では高度情報通信の発達と共に急成長している分野でした。 カナダに駐在経験のあった私は、日本の情報通信の遅れを身をもって経験していました。日本は電電公社が民営化されNTTとしてスタートを切りました。同時に長距離系、国際系他各種新電電が設立され、カスタマーセンターの必要性がありました。

 株式会社もしもしホットライン設立は、情報通信分野が急成長する離陸直前の時でした。カナダ駐在の時に、北米で流行ったビジネスは、時間差で日本でも流行ることを経験していました。 私は、テレマーケティング事業は面白いとテレマーケティングの新会社作りに全力投球しました。
 しかし、当時の三井物産ではこのようなサービス会社を創ることに関し、余り理解がありませんでした。管理部門で反対する人も多く、中には、「三井物産がテレクラをやるのはけしからん」と勘違いする管理職までいました。

 私のミッションは、その年(1987年)の9月に新電電のサービスが開始となるので、できるだけ早く会社を設立し、できるだけ多数の新電電からカスタマーセンター業務の受注を決めることでした。
 株式会社もしもしホットライン設立までに半年を要しましたが、最後の3ヶ月は朝6時に出社し、深夜まで残業し、毎日タクシーで帰宅し、体力気力の限界まで仕事をしました。そして、19年前の今日6月23日にテレマーケティングの新会社株式会社もしもしホットラインの誕生となりました。

 会社設立後、もしもしホットラインは、情報通信業界の急成長と併せ、各種新電電のカスタマーセンター業務を受注し、成長軌道に乗ることができました。私は営業担当役員としてもしもしホットラインには4年弱在籍し、同社が単年度黒字となったのを機に、本社情報通信事業部の新規事業責任者として三井物産に戻りました。

 もしもしホットライン創業に関しては、株主への出資要請、組織作り、給与体系、就業規則、事務所探し、什器備品の手配、見込み客への営業等何でもやりました。この時の経験が現在に生きています。
 もしもしの事務所探しに関しては、三井生命の早稲田ビルが第一候補として上がり、借りる交渉をしました。しかし、「株式会社もしもしホットラインの菅谷です」というと、窓口の女性が怪訝そうな声で、各種書類を持ってこいと事務的な対応でした。 そこで、「三井物産が今度創ったテレマーケティングの新会社として事務所を借りたい」と話したら、手のひらを返すように、三井生命の現場責任者が三井物産を訪れ、「是非借りて下さい」と懇願されました。

 そこで私は賃貸契約書に、「first refusal right」を盛り込み、もしもしホットラインに圧倒的な有利な条件で契約しました。「first refusal right」とは、当時三井生命早稲田ビルに空室があったので、その空室に賃借人が出てきたら、まずもしもしに声をかけ、その賃料でもしもしがOKすれば、もしもしが借り、NOなら他の賃借人に貸しても良いという条件です。この条件を付けたお陰で、ワンフロア116坪でスタートしたもしもしは、会社の発展に併せ、6階建ての三井生命早稲田ビルの大半を借りることができました。

 もしもし創業に関わり、新規事業の創業の喜びを経験しました。その10年後に私は三井物産を退職することになるのですが、もしもしの創業経験が三井物産退職の引き金となっています。その意味では、株式会社もしもしホットライン創業は、私の人生が大きく動いた1日といえます。
 一方、私自身もしもしホットラインの社長を目指すという選択肢もあったのですが、どういうわけかそういう気持ちは全くありませんでした。 もしもしホットラインは、現在従業員1万5千人(正社員は約600名)を擁する大企業に成長しました。確かに東証一部上場の大企業の社長の方が世間的には恰好がよいのですが、私には世界最小の総合商社マーキュリー物産の社長の方が魂的に喜びを感じています。そして、その選択で良かったと思っています。

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