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2006年7月21日 (金)

「マーキュリー通信」no.431【私を育ててくれた元上司達-10「都立神代高校矢野善久教諭」】

矢野先生は、私が神代高校3年生の時の担任の先生で、専門は生物でした。

 当時の神代高校の3年生のクラス編成は、理科系2クラスと文化系6クラスに分けていました。理科系の大半は理科系志望の男子生徒で、女子は僅か2~3名でした。
 一方、文化系の方は、女子生徒の方が多く、当時女子生徒の半数以上は高卒で就職していました。その為、文化系のクラスは受験勉強をする雰囲気に余りありませんでした。
 神代高校では、高校2年生の時に理科系、文化系を希望し、その希望に基づき、3年生のクラス割りが決まりました。

 私が高校生の頃はまだ学校群制度がなく、勉強のできる子は都立高校に行きました。私は三多摩で一番難関校都立立川高校を受験しましたが、1点差に泣き不合格となりました。当時、立川高校に不合格となった生徒は、ある一定の点数を満たしていれば、学区内の高校が受け皿となり、その高校に行くことができました。私の時は神代高校となりました。私が受験した年は、ベビーブームの為、競争率が高く、大量の不合格者が神代高校に行きました。

 私は、一橋大学への進学を希望していました。そこで、1年生の時から親しかった矢野先生に、国立大学志望の文化系クラスを1クラス作るように直訴しました。そしてその担任の先生に矢野先生をお願いしました。
 矢野先生は、私の直訴を快く受け入れ、国立大学受験組(3年1組)を作ってくれました。私は友人を誘い、3年1組に無事進級できました。そして、3年1組には、立川高校、国立高校不合格組が大量に集まりました。

 この為、同じ文化系でも、3年1組だけは他の文化系クラスとは雰囲気が違い、生徒達はよい意味でのライバル心を持ち、受験勉強に励みました。
 その甲斐あって、私は一橋大学商学部を現役合格することができました。これは神代高校始まって以来の快挙となりました。又、その年は学芸大他の国立大学、都立大、早稲田、慶応、中央法科等難関校に大量の合格者が出ました。

 1生徒の分際の厚かましい申し出を快諾してくれた矢野先生の決断には本当に感謝しています。
 矢野先生はその後都立忠生高校(町田市)の教頭として転勤し、最後は都立千歳高校(世田谷区)の校長にまで栄転されました。
 矢野先生とは、卒業後も親しくお付き合いさせて頂きました。

 10年以上前、矢野先生の奥様から突然我が家に電話がかかってきました。矢野先生が他界の電話でした。先生が亡くなる直前に、病床で私に会いたい旨お話しされたそうです。ベランメイ調の飾らないざっくばらんのお人柄で、誰からも好かれる方でした。
 

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