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2006年8月27日 (日)

「マーキュリー通信」no.459【本能寺の変「信長暗殺」の驚くべき新事実!?】

貯まったDVDを見ていたところ、テレビ東京の「英雄を操り時代を動かした女性(6月30日放映)は歴史の既成事実をひっくり返す衝撃的な内容でした。
 
 その中で、日本の歴史史上最大のクーデター本能寺の変に関し、様々な事実を基に新たな仮説を提示しました。
 
 当番組では、本能寺の変の当日、1万3千名の武装した軍隊が京都市内を真夜中の3時頃歩いた場合の騒音を測定した。1万3千名の武装した軍隊の騒音は昼間の繁華街の騒音と同程度の大きさであり、当然信長にも聞こえたはずであると推論した。

 実は1万3千名の明智光秀軍は、信長の息子信忠の軍2千名と合流し、信長は武力で朝廷を滅ぼす計画でいた。
 つまり信長の天下統一の最後の仕上げの時だった。従って、信長は、最後の最後まで光秀謀反を疑っていなかった。

 下克上の戦乱の世で、信長は本能寺に部下数十名だけで泊まるのは余りにも無防備すぎるとこれまで思っていたが、当番組の推論が正しければ、信長無防備の理由が納得できる。
 光秀は、もともと足利将軍から信長に紹介され信長に仕官した身である。
 従って、いくらなんでもそれは余りにも恐れ多いことである、光秀は、自分にはできないと悩みに悩んだ末に寝返った。
  
 そして信長のクーデターは秀吉によって隠蔽された。「信長公記」にはこの部分は何者かによって削除されていた。その何者かを番組では秀吉と推論している。
 朝廷に対しクーデターを起こした信長は、朝廷に対し謀反人となる。従って、光秀によるクーデターとした方が秀吉の天下取りには都合がよい。主君信長を暗殺した憎き光秀を討伐した方が秀吉軍の志気は高まると読んだ。
 
 当番組では更に凄い仮説を提案した。
 歴史上、光秀は信長暗殺後逃亡途中に竹槍で殺されたことになっている。NHK大河ドラマ「功名が辻」でも山内一豊は、光秀の首を手柄として持ち帰っていない。
 当番組では、光秀は比叡山に逃げ込み、僧侶となったと推論している。
 光秀は、天海和尚となり、家康、秀忠、家光の3人の将軍に仕え、徳川家のご意見番として権勢を誇ったその証拠に、日光東照宮の天井等には明智家の家紋で埋め尽くされているという。

 一方、その時一緒に協力して徳川家を牛耳ったのは春日局。春日局は、光秀と従姉妹同士の中。春日局は、大奥の制度を導入した。大奥には将軍以外男子禁制とし、その権力は絶大だったそうだ。
 我々の認識では、光秀は主君信長の暴君ぶりに腹を立て、暗殺したことになっている。しかし、光秀ほどの聡明な武将が、余りにも短慮だったとずっと疑問に思っていました。
 もし、当番組の推論が正しければ、私的には当番組の推論の方が納得できる。歴史上の事実を、当番組を見ただけでは、変えることは難しいが、これを機に戦乱の世の一大事件の真相解明に向けて、歴史学者がこれまでの史実をいったん白紙に戻し、研究してほしい。もし、当番組の主張が事実なら歴史的大発見となる。

 さて、皆さんはどう思われますか?

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