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2007年1月15日 (月)

「マーキュリー通信」no.549【私を育ててくれた元上司達-13「三井物産元常務清水英邦氏」】

 清水英邦さんは、私が石炭部に在籍の頃、石炭部長だったので、仲人をして頂き、それなりに縁の深い方でした。
 但し、私は一番下のぺいぺいでしたので、直接話すことは余りありませんでした。
 
 石炭部長は、接待も重要業務の1つですが、酒は一切飲めず、その代わりG(golf)とM(麻雀)は一流の腕を持ったGM(General Manager)でした。
 お客様は、新日鐵、日本鋼管(現在のJFEスチール)等高炉大手6社ですが、その幹部クラスの接待にはさぞ気苦労が多かったことと思いますが、その気苦労を微塵も見せず、やってのけるところが清水さんの凄いところでした。

 私がカナダ三井物産カルガリー出張所に勤務の頃、清水さんの気遣いの凄さが発揮されました。25年ほど前のことです。
 当時日本鋼管は、カナダ炭の主幹事会社で、同社のN専務はその担当役員で、三井物産にとっては最重要人物でした。N専務は大の麻雀好きでした。清水さんは、N専務に同行して、東のトロントから、西のアルバータ州都エドモントンまで移動した時のことでした。
 エドモントンのホテルに到着したら直ちにN専務が麻雀をやりたいと言い始めました。ところが、商社間の引き継ぎが悪く、エドモントンのホテルに麻雀のセットがありません。私はカルガリーから飛行機でエドモントンまで出張でN専務以下を出迎えました。N専務の付き人N部長が烈火の如く怒りました。その怒りは穴澤所長と私に向けられました。

 その時、清水部長が機転を働かせました。当時清水さんの息子さんが偶々バンクーバーのJTBに勤務していました。清水さんは、息子さんに電話をして、「大至急麻雀のパイとゴムマットを持って、エドモントンまで飛んでこい」と指示しました。バンクーバーとエドモントンの距離は、丁度東京-札幌間くらいです。息子さんは飛行機に飛び乗って、麻雀のパイとゴムマットを持ってエドモントンのホテルまで駆けつけました。そして、事なきを得ることができました。

 その時、商社の仕事の泥臭い一面を見ました。そして、営業の仕事は、単に知識だけでなく、このような目に見えないちょっとしたことで、人間関係を作り、ビジネスに繋げていくのだということを身をもって体験しきました。清水さんのとっさの判断と、機転の良さを、偶々居合わせた現地で範を垂れて頂きました。そのお陰で、誰もできないような貴重な体験をすることができました。
<コーヒーブレイク>
(現地で体で覚えた英会話)
その1: 当時、カルガリー出張所の入居しているビルの1階に銀行がありました。そこのteller(銀行窓口嬢)に必要書類を渡して、事務所に戻ろうとすると、"I"ll be right with you"という言葉が返ってきました。「直ちに伺います」という意味ですが、実に日常会話らしい表現で、学校英語では絶対習わない言い回しです。
その2:私のナップザックの中から、中の染料が滲んできた時のことです。相手のカナダ人が、"The dye came out"という表現を使いました。
 又、かさぶたがはがれた時、"It comes off"という表現を使いました。こういうcomeの活きた使用方法、こういう使い方は学校英語で学びません。

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コメント

『マーキュリー通信』は、以前、郵送頂いていた時には拝読していました。今回は、「夫と同名異人は?」と、検索した場所で見つけて懐かしく拝読し、お若かった頃の菅谷様のお姿も鮮明に思い出しました。
カルガリーでの麻雀の件は、1980年頃の事でした。現在では考えられないほど接待が多くまた必要とされていた時代です。古い体質の業務では「接待」は仕事の一部の感じでした。
お話に出た息子は二男です。その頃は在・カナダの大学生でした。
父親からの電話で、麻雀道具を持ってバンクーバー、カルガリー間をとんぼ返りで、往復しました。周りの方々は接待の手助けと、受け取ってくださったようです。 
当事者のN氏は印象的な出来事として、その後、私にも、お目にかかる度に「あの時は!」と、ご挨拶をくださいました。
N氏と何度かお話をしていて、息子や私の考え方と同じ感覚で受け取っていただいていたのがわかり嬉れしゅうございました。
我が家では、依頼されたことを引き受けるのには「それをして、良いか?悪いか?」だけを考えます。「なんで私がそれをしなければならないのか?」などとは考えません。
「その場にいて『それをできる立場』だったら『即、実行』するでしょう」、それだけです。損得は考えません。接待だからしたのではなく、父親が必要としているものを届けただけです。同じことが今起こり、同じように動ける立場だったら、今も同じことをするでしょう。N氏がおっしゃってくださったのもそこでした。
それにしても、30年余も時が流れ、世情も人情もすっかり変わってしまった現在、あの頃のことは、遠ぃー遠いぃー昔になりました。
菅谷様、お元気におご活躍を祈っています。

投稿: 清水啓子 | 2011年11月22日 (火) 14時22分

中村と申します。
最近、引き出しの整理をしておりましたら、清水英邦氏のホールインワン達成時の記念品が出てきました。
「レイクウッドゴルフコース西コースno.7(151m) oct.9th.1983
の記述がありました。
清水英邦氏をインターネットで調べたところ、本ブログにいきつきました。
当方は、現在引退しましたが、現役時代に、「双日」さんとロンドンで5年ほど仕事をさせていただきましたが、商社の方のUKと当方との会社の間に立っていろいろと気を使っていただいたことおもいだしました。
カルガリーには、石油の件で1回ほど伺いました。現在、娘と孫がニュージャージーのフォートリーに住んでいます。来年会いに行く予定です。サラリーマン時代を思い出させたホールインワン記念品とマーキュリー通信でした。

投稿: 中村文夫 | 2016年8月 9日 (火) 10時00分

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