「マーキュリー通信」no.555【その時人生が動いた-8 その時の一言「T氏から頭が固いと言われ」自分を変える】
石炭部に在籍中の頃(1978~1984年)、T氏から「おまえは頭が固い」と言われ、それなら「柔軟な発想の自分に変えていこう」と決意しました。
1984年5月、カナダから帰国の際に、私は情報産業部門に異動することが内定していました。
その時、決意したことがあります。社外の異業種交流会に参加して、できるだけ多くの異業種の人と接点を持とう。そして、自分自身の情報感度を上げることと、社外からの情報も仕入れようと決意しました。
鉄鋼部門の人脈形成は「狭く深く」です。一方、情報産業部門の人脈形成は、「広く浅く」です。
1984年5月、カナダから帰国後に、NHKのTV番組で、朝の異業種交流会「火曜会」の紹介がありました。朝食を取りながら、情報交換と人脈形成をしていくことが紹介されていました。
私は早速世話役の方に電話をして、朝の異業種交流会「火曜会」に参加しました。
異業種交流会は、1つ参加すると、次から次へとお誘いが来ます。私の方針は、誘われたら基本的には拒まず、取り敢えず参加します。そして、自分に合っていれば、継続して参加するし、合っていなければ見送ります。
それ以降、50以上の異業種交流会に参加しました。又、私自身も異業種交流会を主催しています。
私が主催する異業種交流会の考え方は、徒に人数を拡大せず、少数精鋭で、人間関係を構築しながら、じっくりとつきあっていく。もし、途中でニーズがなくなれば、無理せずフェイドアウトさせていく。
現在は、経営者の会、「新しい時代を創る経営者の会」の世話役をやっていて、既に5年が経ちます。
私が決意してから、20年以上が経ち、私自身社外で多数の人脈を得ることができました。又、商社マンの考え方だけでなく、多種多様多岐に亘る業種の方の意見も聴き、「固い私の頭」を柔らかくすることができました。
一方、三井物産には25年在籍しましたが、10の異なった職場を経験させて頂きました。その為、物事を多角度から見る習慣が付きました。
経理の立場、国内営業の浪花節的なアナログ的感覚、北米人の考え方、システム的アプローチ、中小企業の立場、商人の発想、管理部門の立場、コンサルタントの立場、一般消費者の立場等々いろいろな角度から物事を見ることができるようになりました。
そして、これがいつの間にか自分の財産となっていることに気付きました。その意味では、T氏から「おまえは頭が固い」と言われ、私の「なにくそ」という負けず嫌いの性格に火がつき、私自身を改造してくれた、T氏には今では感謝しています。
| 固定リンク | 0
コメント