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2007年3月 8日 (木)

「マーキュリー通信」no.587【その時人生が動いた-9 「一橋大学商学部合格の日」】

 私の人生で一番感激、喜びが大きかった瞬間が1968年3月8日「一橋大学商学部合格の日」です。

 合格発表の当日受験番号を見に国立の一橋大学に行ったのですが、怖くていきなり自分の受験番号を見ることができませんでした。一番端から徐々に番号を目で追い、自分の番号が近づくと胸が高鳴り、そして私の受験番号359番に怖々と視線を移すと359番が目に飛び込んできました。その時の感動は今でも忘れません。そして生涯最高の感動でした。

 私は、高校受験に失敗したのですが、その理由は、当時三多摩地区で最難関といわれた立川高校合格間違いなしとのお墨付きを頂き、自分自身に油断がありました。

 その点を深く反省し、大学受験は全力投球で臨みました。但し、3年間受験勉強には集中できないと判断し、高校1年生は羽を伸ばし、2年生から2年間受験勉強1本に集中しました。

 高校2年生の時に、「将来は世界に股をかけるビジネスマンを目指そう。就職先は大手総合商社」と決め、進路を一橋大学商学部一本に絞りました。当時家が貧乏で、浪人する経済的余裕が無く、背水の陣で臨みました。
 当時の我が家は、ぼろ屋で冬はすきま風が入り、特に寒かったのですが、自分の部屋に石油ストーブを置く余裕など無く、厚着をしながら受験勉強に集中しました。その為、手足の全てと、鼻、耳全てにしもやけができました。指はグローブのように腫れ上がり、縫い針を火で殺菌して指に刺して、どす黒くなった血を糸で絞り出していました。

 前年の一橋大学商学部の倍率が4.3倍を基に私の一橋大学商学部合格の可能性は7割でした。しかし、団塊の世代の私の時の競争倍率は更にアップし、何と倍率が7.6倍にアップしました。内半分以上は浪人生です。一日中予備校で勉強している予備校生と比べ、現役の私は明らかに勉強時間でハンデでした。
 しかし、数学と英語が得意だった私は、英数の採点比率の高い一橋大学で有利に働き、この得意科目を徹底的に集中して勉強しました。

 そしてその努力が実り、一橋大学商学部を現役で受かることができました。
 この時私は初めて自分自身にやればできるという自信がつき、「目標を決め、それに向かって努力する」という現在のスタイル「hitotubashi_gokaku2.jpg」をダウンロード ができあがりました。それ以来人生即努力、努力即幸福」という私の人生哲学ができあがり、現在に至っています。
 仮に一億円の宝くじが当たっても、この時の喜び、感激には敵いません。それは努力が大きければ多いほどそれが実現した時の喜びは比例することを身をもって体験したからです。
 
 受験戦争は我々団塊の世代が一番厳しく、偏差値重視、学歴偏重とかいった批判が出ました。しかし、そのまっただ中にいた私にとっては、このような厳しい受験戦争があり、これを不断の努力で勝ち抜いてきたその結果が自信となり、現在の自分に繋がっています。もし、受験戦争もなく、簡単に大学に入れ、勉強もしなかったら、人間努力することを忘れてしまい、それが一番怖いです。
 「若い時の苦労は買ってでもしろ」とよく言われます。私自身の経験からまさにその通りだと思います。

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