「マーキュリー通信」no.631【人生の新発見-13「己心の魔との戦い」】
5月3~5日まで那須の研修施設で2泊 3日に亘り瞑想三昧に浸かってきました。社長業というのは非常にストレスのたまる職業であり、私はゴールデンウィークの時期はストレス解消のために、人里離れた場所で瞑想三昧に耽り、心に溜まった塵、垢を落としに行きます。研修後は、心に溜まった塵、垢はきれいさっぱり落ち、ちょうど湯上がりのような爽快な気分となり、ストレスも解消して、私にとっては何物にも代え難い最高のゴールデンウィークとなります。
さて、今回は中国の6世紀の高僧天台智顗(テンダイチギ)大師が唱えた「止観瞑想」に基づき瞑想実習をしてきました。
人間の思いの針は一定せずいろいろな方向を指し示しています。時には天国的なことを考え、時には地獄的なことを考えたりすることもあります。この思いの部分をいったん止めて観ながら、自分の「思いの部分」の修正を、瞑想を通じてかけていくのが「止観瞑想」です。
「止観瞑想」のポイントは、「真実の自己」の部分を発見し、その部分とずれていないかをチェックしていきます。「真実の自己」の部分は、天国的な考え方をします。しかし、それから外れると執着となり、心の針がだんだんと地獄的な部分へと向いてきます。その時に現れてくるのが「己心の魔」です。
「己心の魔」とは、お釈迦様が大悟するときに、魔の邪魔が入りました。その時に自分の心の中の弱い部分に引っかかりができます。お釈迦様でいうなら、愛する妻子の待っている王宮に戻れば、何不自由しない贅沢三昧の生活に戻れるのに、何を好んで厳しい修行などするのだという甘いささやきです。
私の場合でいうなら、「何も好んで社長業という厳しい職業などせずに普通の楽な熟年ライフをエンジョイできるでないか。三井物産の同期の仲間など皆そうしているではないか」といった甘いささやきです。
又、私自身マーキュリー物産の経営を3年間やってきて、まだ「成功した」という実感がわいてきません。そこに焦りなり執着があることを発見しました。これが「己心の魔」というものです。私自身「成功」という2文字に執着していたようです。「己心の魔」が出てきた場合、自他共に幸福の状態とはなりません。これを今回「止観瞑想」を通じて発見しました。
マーキュリー物産の経営を通じ、努力精進しながら自分磨きと自分作りを継続し、私と関わる人が自他共に幸福になれるよう絶えず気配り、気遣いをしていくことが重要と改めて気づかされました。
過去3年間に小さな成功はたくさんありました。「それで良し」とし、その積み重ねがやがて大きな成功へと繋がっていくのだと今回の「止観瞑想」を通じて新たな発見をしました。
<コーヒーブレイク>
涅槃池に住む鯉にエサを与えると、写真のようにわっと集まってきます。人間の世界もただひたすらエサを求める鯉の部分もあります。このエサの部分だけを追い求めることを仏教的には執着と言います。
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