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2007年5月 6日 (日)

「マーキュリー通信」no.632【人生の新発見-14「自分の人生の色調を観る】

0046   「止観瞑想」の中で、「真実の自己」を発見しました。私の場合、「真実の自己」とは「魂の純粋性」です。「魂の純粋性」の為に、正義感が強く、これが出過ぎると自己主張が強くなり、協調性にも欠けてきます。

「魂の純粋性」であるが故に、人から頼まれるといやといえない性格であり、騙されたことも多々ありました。子供の頃から「他人の喜びは我が喜び」としてきました。
中学3年生の時に、放課後居残ってクラスメイトに高校受験の指導などもしたことがあります。そして、クラスメイトが志望校に合格すると一緒に喜びました。しかし、自分自身高校受験を失敗するという間抜けでお人好しなこともやっています。
又、絶えず「使命感」をベースに人生を送ってきました。その使命感に対し、絶えず目標を立て、それに向かって努力精進してきました。そして、「人生即努力」「努力即幸福」という人生哲学に到達しました。

生まれてからこれまでの自分の人生を振り返り、自分の人生の色調を観ると「魂の純粋性」に首尾一貫して彩られていることに気づきました。
そして、「人生即努力」「努力即幸福」の延長線上に、「自分自身のこれまで培ってきた経験を世のため人のために思い切り活かしたい」というのが、自分自身の「思いの根底の部分」にあります。そして、その時には「最高の自己の完成に向かい努力精進し、最高の自己を神仏の下に差し出したい」と念っています。0054

一方、今回の「止観瞑想」を通じ、私自身過去世で修行僧をやっていたであろうし、商人をやったり、戦国時代小さな城の城主として采配を揮っていたのではないか。又、かつては米国、カナダで開拓者精神を発揮していたこともあるのではないかと過去世にも思いを馳せました。そして、その時永遠の人生の一こまをかいま見た感じがしました。

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