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2007年5月26日 (土)

「マーキュリー通信」no.648【58歳の誕生日の日に思うこと「人生は修行」】

 昨年の57歳の誕生日には「諸行無常」をテーマに書きました。今年の誕生日に思うことは、「諸行無常」を感じると同時に「人生は修行」であると感じています。

 この1年間も、世界最小の総合商社マーキュリー物産の経営者として厳しく鍛えられてきました。そして、社長業というものは実に厳しいものだと実感しています。何か昔の修行僧のような感覚になることさえもあります。

 しかしながら、元来プラス思考の人間であり、若い頃にかなり厳しく教育されてきたので、その厳しさにへこたれることはありません。この厳しさから多くのことを学び、人間的にも、経営者としても大きな成長を遂げることができました。そしてその成長できたという実感、喜びの方が大きいです。

 人生60年時代ならいざ知らず、我々の年代の平均余命は90歳くらいまで生きてしまうそうです。100歳まで生きる人も、我々が100歳になる頃には100万人くらいになるとも言われています。
 そのような超高齢者社会では、人生60年時代の発想で人生設計を考えていたら、途中で寝たきり痴呆老人になるのが落ちです。

 私の場合、人生100歳まで生きることを前提に人生設計をしています。
 65歳までは、事業家としての能力を磨いていく。引き受ける仕事は社会的意義のある仕事に絞っていく。
 65歳~75歳までの前期高齢者時代は、世の中の役に立つような仕事にシフトしていく。事業家として稼いだお金を世の為人の為に還元できるような仕組み、しかけを作っていく。
 75歳~85歳までの後期高齢者時代は、ボランティア中心に世の為、人の為になるような仕事を中心に生きていく。
 そして、85歳以降はいつ往生しても悔いの無いように、自らの「心の純金部分=本当の自分」に磨きをかけ、自分作りをしていく。そして、最期棺桶にはいる時には、自分作りの結果、「最高の自己」を神仏に対し差し出すことができたらと思っています。
 又、5歳の時に他界した母親から、臨終の時に、「信雄、よく頑張ったね」とねぎらいの声をかけてもらい、この世に対する一切の執着を捨て、心がぴかぴかの状態で三途の川を渡り、母親に会えたらと思っています。そのように思う時、胸がわくわくしてきます。「57.txt」をダウンロード

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