「マーキュリー通信」no.649【その時人生が動いた-16 「1歳の時にはしかにかかり、九死に一生を得る」】
最近大人のはしかが流行し、早稲田大学生もはしかにかかり、話題になっています。
私は、1歳の時にはしかにかかりました。
当時、菅谷家は、父親の家業(瀬戸物の卸商)が倒産したので、貧乏のドン底状態でした。6畳一間に親子4人が暮らしていました。 当然、はしかを治療するお金がありません。そのまま放っておけば当然死ぬところでした。
そこで、母の実家の祖父母が中心となり私の為にはしかの治療費を出してくれました。厚谷医院という調布の小児科でした。お金をかけても私のはしかは予断を許しませんでした。しかし、家族、祖父母の愛情のお陰で、はしかは治り、九死に一生を得ました。
「金の切れ目が縁の切れ目」とよく言いますが、私の場合まさにそうでした。
私の人生を振り返ると、赤ん坊の時から波乱の幕開けでした。もちろん1歳のはしかのことなど覚えていません。しかし、現在の私自身があるのも、大勢の人の愛情のお陰の賜とつくづく感じています。
私自身義理人情に厚い性格ですが、もって生まれた性格なのか、この時の恩が脳裏に一ぷっとされているのか判りません。
しかし、この出来事を見ただけでも、世の中は決して一人で生きられるものではない、多くの人の縁、支え合いの上で成り立っていることが実感します。
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