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2007年6月26日 (火)

「マーキュリー通信」no.665【人生の新発見-15「生きている自分」から「生かされている自分」を知る】

  これまでの自分は、人生目標を設定し、その目標達成に向け、努力精進し、目標達成による喜びと自己成長の喜びを感じてきました。そして、その瞬間瞬間で「生きている自分」というもの感じてきました。
 しかし、60年近い人生を生きてきて、最近は「生かされている自分」というものも感じるようになってきました。
 「ありとあらゆる現象、喜びも悲しみも、苦しみも憂いも、いろいろなことが、この世にはあるけれども、すべてものが、実は私の生命というものを生かしめるためにある大いなる教材なのだ。そういう大いなる教育の場なのだ」ということを感じるようになってきました。
 「この世ということの意味を知る。この世が何故あるのか、私が何故ここに今生きているのか、いかにして生まれ、いかにしてこの世を去っていくのか」そんなようなことを考え始めると、実は自分自身が「大いなるものに生かされている」ということに少しずつ感じるようになってきました。
大いなるものとは、人間を創った造物主といっても良いですし、神仏といっても良いかもしれません。
 そして、私が生まれ、生き、死んであの世に還る。そして、又、生まれ、生き、死んであの世に還る。こういう転生輪廻の過程の流れの中で、本当の自分に出会い、更には他の人の人生をも理解し、自分と他人とが同時代の同期生として魂修行をしているという現実をおぼろげながら理解できるようになってきました。
 そしてその時、「永遠の今」を垣間見ることができます。「永遠の今」を垣間見ることができればできるほど、「生かされている自分」を知るようになります。私自身まだその入り口に立った段階ですが、「人生の新発見」ともいえ、感動の瞬間でもあります。

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