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2007年6月30日 (土)

「マーキュリー通信」no.669【その時人生が動いた-18 「三井物産㈱石炭部北米研修員としてカナダに赴任」】

 「世界を股にかけるビジネスマンにになりたい」が、私が高校2年生の時に抱いた夢でした。

 そして、その第1歩となったのが、1975年6月30日のことでした。私は、三井物産㈱石炭部の北米研修員として、カナダ、米国に半年間現地の仕事の手伝いもして業務知識を得ながら、炭鉱各社の炭鉱の中で勉強をしました。07630hokubeikennshuin3

 実際に目にする鉱山機械は巨大な物でした。150トントラック、プレハブ住宅並みのショベルカーのショベル等その巨大さに圧倒されました。
 当時日本の炭鉱は斜陽の一途を辿り、閉山の連続で風前の灯火の状態でした。スケールの大きなカナダの露天掘り炭鉱に比べれば、規模の小さな坑内堀の日本の炭鉱が敵わないことは一目瞭然でした。07630sekitannkenshuuin

 炭鉱での山ごもり研修は、業務知識の習得だけでなく、私自身の英語の能力が飛躍的に向上しました。
 英語しか通じない環境に毎日いることで、否応なしに英語力は上達しました。現在英語を使うことは殆どありませんが、この時の経験のお陰で、丁度自転車に乗る感覚で、外国人と英語を話す機会が出てくると、自然と英語が口をついて出てきます。07630hokubeikenshuuin2

 北米研修員としてカナダで研修中に、第2次オイルショックが起き、カナダ三井物産㈱では15年間の長期大型契約が2つも成約となり、現地は猫の手も借りたいくらい超多忙となりました。
 その時、研修員として滞在した私が、「猫の手よりはましだろう」ということで、米国における研修は打ち切られ、カナダ三井物産㈱カルガリー出張所勤務に切り替わりました。第2次オイルショックが、私の人生を大きく変えました。そして、国際ビジネスマンとしての第1歩を踏み出すこととなりました。

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