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2007年8月 5日 (日)

「マーキュリー通信」no.692【私のコミュニケーション論-39「人に関心を持つ」】

今年は一橋大学卒業35周年記念同期会の年に当たり、私はクラス幹事として大学1,2年の語学クラス(フランス語)の旧友の名簿を基に住所の確認の電話を入れました。
 電話をかける前、私は40年近く前の旧友の顔をイメージします。電話をかければ皆1,2年の時の記憶が蘇ってきて、昔の旧友の関係となります。
 その中で大手金融機関に勤務するY君は私のことが誰だったかイメージできなかったようです。私自身は昔のY君の顔、風貌をはっきりイメージしながら、昔にタイムトリップしながら親しみを込めて会話をするのですが、Y君は最後まで私のことを思い出せなかったようです。
 
 コミュニケーションの原点はやはり相手に対する関心からスタートすることをこの時気付かされました。Y君は昔からまじめで、しゃがれた声は今も変わりませんが、大学を卒業して、サラリーマン1本でずっと来ると関心の対象は自分の仕事関係が中心となってくるようです。

 我々団塊の世代もそろそろ定年を迎える年となりました。退職後、自分の関心の領域、分野の切替ができないと、カルチャーギャップに遭遇し、寝たきり痴呆老人の遠因となるのではないかと本日の電話コミュニケーションで感じました。

 余談ですが、私の場合、小学1年生から社会人となって今日に至るまで同じクラス、職場で一緒だった人の名前と顔は殆ど覚えています。名前を言われれば、その人の顔を瞬間的にイメージすることができます。
 小学校1年生の時に初めて座った席の隣の女の子の名前は「藤田慶子」というお下げ髪の前髪を垂らした目がくりくりっとした女の子でした。別に関心があったわけではないのですが、どういう訳か覚えています。皆さんはいかがですか?(^y^)

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