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2007年9月18日 (火)

「マーキュリー通信」no.720【タリーズコーヒー松田公太社長の記念講演会を聞いて】

 丸の内起業塾の塾生200名突破記念パーティが9月14日丸ビルで行われました。
私も丸の内起業塾の講師として招待され、お祝いに駆けつけました。

 さて、当日ゲストスピーカーとしてタリーズコーヒージャパン㈱創業者の松田公太社長の記念講演会を聞きました。

 丸の内起業塾須賀等塾長が、三井物産㈱勤務時代にベンチャー・キャピタルの会社MVCの初代社長として数百に及ぶベンチャー企業社長と面談しました。

 通常、ベンチャー企業から投資の話が持ち込まれ、事業企画書を審査するのが手順です。しかし、須賀MVC社長は、当時29歳の松田公太社長に初対面で惚れ込み、まだ会社の体をなしてない段階で、周囲の猛反対を押し切り、タリーズコーヒージャパンに出資しました。

 そして、須賀社長の鑑識眼の通り、その後スペシャルティコーヒー部門で急成長を遂げ、現在は300店のチェーン展開する大企業にまで成長しました。

 さて、須賀社長が惚れ込んだ松田公太社長とはいったいいかなる人物なのか、記念講演会を聞くのを楽しみにしていましたが、松田公太社長の話を聞いて、私自身納得しました。

 松田社長は、父親が水産会社に勤務していたので、子供の頃から海外生活が長かった。

 小学生の頃、アフリカのセネガルのダカールに5年間程住んでいました。両親と一緒にウニを食べたときのエピソード。

 見かけがグロテスクなので、食べる気がしなかったのだが、母親からこれは日本では高級食材で、天然のウニを食べる機会など滅多にないからと勧められ、食べたところそのおいしさに感動した。

 しかし、これを見ていた現地の人たちに囲まれ、目茶苦茶馬鹿にされて、カルチャーショックを受ける。幼少の頃に、食文化の違いに気づく。

 ボストン近郊のレキシントンで暮らしていたときも、あれほどおいしい刺身に現地の人は気味悪がって食べない。しかし、食文化の違いを幼少の頃に体験した松田少年は、そんなこと気にせず将来は回転寿司を開こうという夢を高校生の時に持った。
 

 さて、海外生活が長かった松田少年は、日本のことをよく知ろうと思い日本の大学に進学した。大学では、先輩後輩の上下関係の厳しいアメフトに入部し、日本文化を思い切り体験した。

 そして、大学生の頃に企業家の道を目指そうと思う。ただし、知識も経験も乏しい若者がいきなり起業するのはリスクが大きいので、まずは会社に勤め、基本的ビジネスマンとしての知識、経験を身につけようと思う。

 そのため、中小企業の経営者と仕事上接点のある三和銀行に就職した。そこで、200社の社長と出会い、経営者の考え方を学ぶ。このことが現在の松田公太社長の原点となっている。

 銀行マンとなった松田公太氏は、給料の5倍稼ぐという目標を立てた。そのぐらいの力のないやつが脱サラして、起業しても成功はおぼつかないと判断したからだ。

 松田公太氏は、若いときから目的と目標を明確にして生きてきた。起業家になろうという目的のために、給料の5倍は稼ぐという身近な目標を設定した。

 94年に、友人からスターバックスの日本進出の話が持ちかけられたが、既に日本ではドトール始め多数のコーヒーチェーン店が店舗展開していたので、今更と思い関心を持たなかった。

 しかし、先入観や思いこみはまずいと思い、スペシャルティコーヒー事業を研究した。初めて飲んだカフェラテに感激し、ドトールとは味も雰囲気も全然コンセプトが異なり、スタバの事業展開に関心を持った。しかし、そのときは時既に遅く、大手企業と約4億円で共同経営会社を設立し、日本で事業展開をすることとなった。当時の松田公太氏には4億円の金はどう転んでも無理だった。

 その後、シアトルのタリーズを発見。タリーズは当時まだ20店程度の小さな会社だった。松田公太氏は、タリーズのコーヒー店の事業展開を日本でやりたい旨頼んだ。しかし、タリーズ側は20代の若者には関心がなかった。当然大手と事業展開をしたかった。しかし、松田公太氏の情熱に根負けし、とりあえず1店だけオープンすることを認めた。

 開業資金は7000万円。半分を国民金融公庫、残り半分は親類縁者を駆け回り、かき集めた。

 第1号店は自分の足で探し回った。そして、銀座三越の近くにオープンできた。1997年8月7日、当時松田公太氏29歳の時だった。最初は自分一人ですべてやった。2号店は神谷町だったが、周りから反対された。しかし、松田公太社長の信念が通じ、神谷町店も成功。

その後、須賀社長の尽力により、三井物産㈱大手町本社ビル1階に立ち飲みコーヒーショップをオープンした。これが大ヒットし、会社の資金繰りも良くなり、成長軌道を描いた。
 

 そして、食品・外食業界最短の2年半で上場できた。その後、ベンチャーリンクが出資したが、経営方針が合わず、ベンチャーリンクが株主から降りることになった。

 ベンチャーリンクは効率化、収益性を優先した。しかし、松田公太社長は、あくまでもタリーズの生命線である味を主張して譲らなかった。

 提携解消後株価は4分の1に下落し、地獄を味わった。その後、初心に戻り、MBO(Management Buy Out)をかけ、上場を廃止した。

 さらには、今年伊藤園が過半数の株式を買い取り、親会社となった。今後は、タリーズコーヒーを店舗以外の場所、自販機、コンビニ等で販売していくことになった。この点に関しては、バッティングしないことを市場調査済みなので、問題ない。

 さて、タリーズコーヒー成功の要因は、「人」に尽きる。ただし、今を思えばスペシャリストがいたなら、株主対策等もっと円滑に対応できたのではないかと思っている。しかし、初期のタリーズコーヒーにそれを求めるのは酷な話。今後は、企業の成長に伴い、必要とするスペシャリストも採用していきたい。

 本日の話を聞いて、是非松田公太氏に続く若者がどんどん出てきてほしい。松田公太社長は、事業に失敗しても、命を取られるわけではないと言っている。

 そして、目的と目標を明確に掲げ、それに向かい努力精進していくことが、事業に成功する秘訣ではないでしょうか。

 本日の松田公太社長は、コーヒー色に日焼けし、コーヒーの香りが漂ってくるようなすがすがしさを感じたのは私だけでしょうか?

 ホリエモンのような金の亡者でないところに一服の清涼感を感じました。

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