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2007年10月 5日 (金)

「マーキュリー通信」no.734【私を育ててくれた元上司達-15「三井物産参事佐藤安武氏」】

佐藤安武氏は、日本のオフィスにカーペット革命を起こした方です。昭和40年代の日本では、カーペットは贅沢品であり、事務所に敷くという発想はありませんでした。
 当時、佐藤安武氏はカーペット商売で大量の在庫を抱えることになる。大量の在庫をさばくためにはどうしたらよいのか?
 佐藤安武氏は、オフィスにカーペットを敷くことを考えつきました。しかし、周囲からは非常識といわれ全く相手にされませんでした。しかし、米国ではオフィスにカーペットを敷いているかどうか調査すると、オフィスにカーペットを敷くことは当たり前のことでした。そこで、上司を説得し、米国に出張し、現地視察をしてきました。カーペットを敷くことは、清掃も簡単であり、長期的に見て、維持費用が安くつくことが分かりました。米国のオフィス事情を目の当たりにして、佐藤安武氏は日本でもカーペットは普及するとの確信を得ました。
 帰国後、米国のカーペット事情を周囲に説明しても、「日本と米国とは事情が違う」と取り合ってくれませんでした。

 一方、当時三井物産では大手町に新社屋を建設する計画でした。そこで、佐藤安武氏は、三井物産にカーペットを売り込みに行きました。佐藤安武氏は、自分の会社に商品を売ることの難しさを実感しました。しかし、それでもめげずに担当役員を口説き落とし、何とか三井物産の大手町新社屋全館にカーペットを敷くことに成功しました。
 三井物産の大手町新社屋は昭和51年11月(1976年)に完成しましたが、これが最大のPR効果となり、日本のオフィスにカーペット革命を起こしました。カーペット商売は三井物産の独壇場となり、佐藤安武氏は旋風児として一躍有名になりました。
 佐藤安武氏は、それ以外にも様々な新規事業にチャレンジし、三井物産では一番たくさん稟議書を書いた男と言われ、生涯52の稟議書を書き、成功率は58%だったそうです。

 さて、私自身佐藤安武氏と個人的に知り合ったのは、佐藤安武氏が60歳を超えてからでした。丁度胃の手術をした後でした。佐藤安武氏の過去の業績は知っていた私は、佐藤安武氏と知己になること自体光栄でした。私もチャレンジングスピリット旺盛な男なので、佐藤安武氏とは直ぐに親しくなりました。佐藤安武氏は三井物産時代最後の私の上司というより、師範、師匠と言った方が良いかもしれません。
 実に発想力豊かで、豪放磊落な方で、私自身浴びるようにして佐藤安武氏のこれまでの経験・ノウハウを吸収させていただきました。
 ただ、惜しむらくはヘビースモーカーのため、健康を害し、62歳の若さで他界されたことが惜しまれます。
 佐藤安武氏の人生スローガンは、三井物産の社是社訓である「挑戦と創造」です。
 生前57歳の時に、佐藤安武氏は、自分の半生を振り返り「知的財産の生前贈与」という本を2ヶ月かけて書き上げました。正式な出版はしませんでしたが、文庫本にすると800ページの大作です。その力作を、私にもプレゼントしてくれました。私は、それを佐藤安武氏の遺作として、大事に保管しています。

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コメント

瀟洒っていろいろすごい人がいるんですね。

投稿: kubokawa | 2007年10月 6日 (土) 16時50分

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