「マーキュリー通信」no.751【人生に勝利する方程式-14「やって後悔するよりやらない後悔をしない」】
私の父は瀬戸物の卸問屋を営み、私が目黒区祐天寺に生まれた頃は裕福な家庭でした。しかし、生まれて直ぐに、父は株取引で騙され、事業は破産となり、家屋、土地を手放さざざるを得ず、一家は貧乏のどん底に陥りました。母はその時の心労が原因で、私が5歳の時に他界しました。
私も父に似てお人好しの部分があるので、父の人生を破滅させるような大失敗を教訓に、「若い頃の失敗はむしろ進んでやる」というのが私の人生哲学の1つです。元来好奇心旺盛の私は、いろいろなことにチャレンジしてきました。もちろん失敗もたくさんしました。しかし、失敗して後悔したことはありません。なぜなら失敗して学ぶことが多いからです。失敗して、反省し、次の飛躍発展に活かすことができるからです。失敗は私の弱点を厳しく鍛え直してくれます。いつもスーパープラス思考の私ですから、失敗してもめげずに次の発展の踏み台としてきました。
私の所に、新規事業、商売の話が頻繁にやってきます。そして、失敗を経験することで、その事業や商売がうまくいくかどうかの判断力も養われてきます。
そんな私ですが、人生で一度やらなかった事への後悔があります。
一橋大学に入学すると剣道部に入部しました。剣道を生まれて初めてやる私は、高校生から始めた連中と比べると劣等生です。力の差は歴然としていました。
その頃同じ剣道部で親しかった高杉君が朝日洋上大学生として朝夕1年間新聞配達をするために、休部届を出しました。朝夕新聞配達をして、そのバイト代を積み立て、不足分は朝日新聞が補填し、船で米国に夏休みを利用して行ける制度です。私が大学1年生の時に新たに発足しました。当時、米国に行けるのは夢の時代でしたので、私も同様に1年間剣道部を休部して、貧乏学生の私は朝日洋上大学にチャレンジしました。そして朝日洋上大学は、私の青春時代の一番の思い出となりました。
朝日洋上大学を終えた私は再び剣道部に復帰しました。しかし、ただでさえ劣等生だった私にとって、この1年間のブランクは大きく、同期の仲間との差は更に大きく開いていました。そして、新入生にもかなわない状態で、私の気持ちは劣等感でさいなまれました。剣道部は、同期の仲間も気のあった連中が多く、先輩にも恵まれていました。気持ちとしては辞めたくなかったのですが、厳しい練習について行けず、退部届を出すこととなりました。
しかし今を思うと、やはりどんなに辛くても辞めるべきではなかったと思います。本当に良い仲間と先輩でした。もちろん剣道の仲間とは今でもつきあいはあります。しかし、同じ釜の飯を食わなかった私にとり、心理的な溝はやはり埋められません。私の人生にとっての唯一「やらなかった事への後悔」です。
以後、私自身は、物事に対し、逃げずに積極的に、責任を持って前向きに対応していく、これが人生哲学の1つに追加されました。
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