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2007年11月30日 (金)

「マーキュリー通信」no.782【その時人生が動いた-19「三井物産㈱情報産業部門に異動」】

 1986年11月30日に、私は三井物産㈱鉄鋼部門から情報産業部門に異動しました。実は、私の異動はその半年前に決まっていました。後任も決まり、引き継ぎも終わり、5月末に異動するはずでした。しかし、当時の上司から「後半年だけ残ってくれ」と頼まれ、結局、半年後の11月末となりました。このことが私の人生に大きな影響を与えました。

 Marumi4 11月末に異動の際には、その時の上司は大槻室長の予定でした。しかし、大槻室長は、私が異動したときには、関西テレメッセージに出向となり、隣の室の星崎室長が兼任となりました。
 大槻室長は、いわゆる一般的な物産マンで、多分大槻室長が上司だったら、カナダ駐在経験のあった私は日本国際通信の担当になっていたと思います。
 しかし、星崎室長は型破りの性格で、情報産業部門中興の祖といわれた方で、カリスマ型のリーダーで、星崎室長の所には新規事業がたくさん持ち込まれていました。

 私が異動した頃、丁度テレマーケティングの会社ベルシステム24の買収の話が持ち込まれました。私は急遽その担当となりました。しかし、同社の買収話はCSKにもオファーされていました。CSKは当時大川功オーナーの鶴の一声で、同社はCSKが買うことになりました。

 その後、アンチ大川一派が三井物産を訪れ、彼らと三井物産で新しいテレマーケティングの会社を創りたいという提案がありました。そこで、今度はテレマーケティングの新会社を創る話に変わりました。
 私は再びテレマーケティングの新会社創りの担当者として、全力投球しました。そして、できた会社が㈱もしもしホットラインです。1987年6月23日にテレマーケティングの新会社㈱もしもしホットラインが誕生しました。
 ㈱もしもしホットラインの創業に参加し、新規事業、事業化志向の私の潜在能力が発掘された形となり、その後私の物産マン人生に大きな影響を与えました。

 もし、私の異動が予定通り実行されていたら、いわゆる情報産業部門の普通の物産マンの人事異動をしていたことでしょう。情報産業部門には10年半在籍しましたが、寧ろ新規事業、事業家としてのキャリアを磨いていくこととなりました。

★★★ 
<コーヒーブレイク>本日、偶々情報産業部門のOBの集いがありました。情報産業部門立ち上げの時に、苦楽を共にした仲間、戦士達の集いです。現在、悠々自適組からそれそれの経験を活かし頑張る仲間の集いでした。星崎さんを中心に、同じ釜の飯を食った仲間が昔話に花を咲かせ、楽しい一時を過ごしました。

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