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2007年12月31日 (月)

「マーキュリー通信」no.822【その時人生が動いた-19「カナダ駐在」】

071231mt_canada0   1980年は、私が三井物産㈱に入社して一番大きな変化のあった年でした。6月末に石炭部北米研修員として半年の予定でカナダ、米国の炭坑に入山し、現場研修することになっていました。

 しかし、当時は第2次石油ショックの頃で、石炭に再びスポットライトが当たりました。三井物産㈱では新規炭坑との長期契約が次々と締結され、カナダ炭も2つの長期契約(Gregg River炭とLine Creek炭)が日本の鉄鋼会社との間で調印される運びとなり、現地はてんてこ舞い、猫の手も借りたい状況でした。
 その時、石炭部北米研修員として研修中の私に声がかかり、3ヶ月のカナダ炭坑での現場研修の後、米国炭坑行きは取りやめとなりました。そして、カナダへの転勤準備の為、9月末に一旦日本に帰国し、12月31日にカナダ(アルバータ州カルガリー市)に転勤となりました。
 
  071231_canada1 カナダに転勤してからの2年間はミニバブル状態で、10%以上の物価上昇、特に家賃は毎月上昇するという状況でした。家賃の賃貸契約は1ヶ月毎の更新で、家主からの値上げ通告でいつでも退去を余儀なくされるという契約内容でした。
 当時、原油価格が1バレル20ドルを超え、30ドル台になるのも時間の問題と言われていました。原油価格の急上昇で、代替エネルギーとしての石炭が注目され ました。石炭への需要は鉄鋼メーカーだけでなく、電力会社との一般炭の契約が続々と締結されるようになりました。

 その後、原油価格は30ドル台には上昇せず、日本の鉄鋼会社は粗鋼生産量1億トンを割る長期不況となり、原油価格も石炭価格も反落し始め、長期低迷状態が続きました。

 カナダに071231canada3は3年半駐在しましたが、多くの経験をしました。私は三井物産㈱で10の異なった職場を経験しましたが、通常異動する事に丁度階段を一段ずつ上がっていく感じで、仕事能力もアップしていきました。しかし、カナダの駐在経験は、エレベーターで一気に上がっていく感じで能力がアップしていきました。
 三井物産㈱石炭部代表としてカナダ炭シッパーのトップと毎日のように英語でやりとりすることで、国際ビジネスマンとしての第一歩を築くことができました。異文化に触れ、国際感覚も磨くことができました。この時、英語力も飛躍的にアップしました。

 現在、原油価格が100ドル台寸前ですが、原油価格の高騰は代替エネルギーの開発を促進します。今度は、地球温暖化問題が大きくある為、代替エネルギーは、風力、水力、水素等のクリーンエネルギーにシフトしていくことでしょう。従って、「原油価格の高騰は、地球温暖化防止に一役買うことになった」と後生の歴史家が評価するかもしれません。 
 このように私自身仕事能力と英語力だけでなく、物事をマクロと長期的に見る習慣がつくようになりました。
 カナダでミニバブルを経験したが私は、日本に帰国して数年後に日本でバブル経済が起きたのを観て、周りの人に「現在の不動産価格の上昇は異常で、いずれ下がる」と言いつのりました。しかし、残念ながら相手にされませんでした。

 北米での3年半の駐在経験は、先見力も身につくようになりました。
 カルガリー市の電話局を訪れた時に、日本が通信、電話に関して余りにも遅れているのでびっくりしました。当時(1980年)日本では電話局に申し込んで電話が開通するまでに1ヶ月程度かかりました。それが、翌日から使えるというのにびっくりしました。電話機も、日本では電電公社からの借り物でしたが、カルガリー市では1台目は電話局からのレンタル。2台目からは店で好きなデザインの電話機を購入することができました。アンティークな形状の物からスヌーピーやディズニーのキャラクターフォンまで品揃えは豊富でした。又、電話代も日本と比べ数分の1と余りにもの安さにびっくりしました。

 071231_canada2その後電電公社が民営化され、三井物産㈱でも新たに情報産業開発部を1984年に創設することとなりました。この時の体験で、今後日本でも情報通信ビジネスは大きく伸びると直感し、鉄鋼部門から情報産業開発部への異動をカナダ三井物産㈱社長に直訴する事になったわけです。情報産業開発部への異動後、テレマーケティングの新会社㈱もしもしホットラインを私が現場責任者として創ることになったわけですが、カナダでのテレマーケティングの体験が活きていたわけで、私にとっては何やら歴史的必然性、因縁めいたものを感じます。
 いずれにせよ27年前の本日は、私にとり人生の大きな転換となった日でした。

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