「マーキュリー通信」no.839【資本主義の発達と宗教との関係】
昨日、経済学者聖学院大学鈴木真実哉準教授の「資本主義の発達とキリスト教」の関係は、ユーモアたっぷりにわかりやすく解説があり、大きな学びとなりました。
中世の欧州はキリスト教カトリックの世界で、経済成長の概念がなかった。キリストの教えでは、「金持ちが天国に行くのは、らくだが針の穴をくぐり抜けるより難しい」という教えが定着しており、金儲けは悪という意識だった。
その後、ドイツでルター、フランスでカルバンが宗教改革を行う。富とは神の栄光を地上に広めるものという考え方をした。このような考え方をすると異端となり、当時ローマ法王から死刑に合うところだったが、当時のドイツ皇帝が保護した。その結果、ドイツ、オランダ、フランスで経済的繁栄をしていった。
一方、カトリックの国、イタリア、ポルトガル、スペインは依然「金儲けは悪」という考え方であった為、経済的に停滞したままだった。ここにキリスト教新教(プロテスタント)が資本主義を容認することで、プロテスタント国家は繁栄していった。産業革命以降経済成長の概念が定着してきた。宗教が経済的繁栄を認めるかどうかによって、国の経済成長にも影響を与えた。
その後、フランス革命には「自由と平等」という人類の2つのスローガンがあった。
自由は資本主義とキリスト教と結びつき、その後ヨーロッパ社会は発展していった。
一方、平等は社会主義と結びついたが、更に唯物論や無神論と結びついた。マルクスは「宗教はアヘンである」と失言してしまった為に、共産主義=無神論国家となってしまった。そして、旧ソ連の崩壊に見られる如く、共産主義は最後は没落していく。
それでは無神論国家は何故最後には衰退していくのか。それは、「富とは神の栄光を地上に広めるもの」というたがが外れた時、物質的豊かさだけを求める快楽主義に陥り人間は堕落していく。又、金さえ儲ければ是とする拝金主義となり、人々の精神は荒廃し、堕落していく。これは共産主義に限らず、資本主義においても、同様である。ホリエモン、村上ファンドの村上代表などはその典型例と言える。
ところで、資本主義は、日本において仏教と結びつき発達した時代があった。我が国にも最初の宗教改革をした行基菩薩がいました。行基は、宗教指導者だけでなく、合理的な技術者であり、政治家、経営者としての能力も備え、池溝の掘削、道路の建設、橋の架設も行い、8世紀の日本に資本主義の萌芽があったことが認められる。行基の最大の功績は、時の聖武天皇の「毘盧遮那仏造営の詔」により、東大寺の大仏を造営したことです。大仏造営の目的は、仏の功徳を蒙り、国家安寧を祈願するものでした。これは仏教と資本主義が結びついた好例と言えます。詳しくは、「仏教と資本主義」(長谷部日出雄著 新潮新書)をご覧下さい。
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