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2009年2月15日 (日)

boblog「マーキュリー通信」no.1060【その時人生が動いた-26「「5歳の時に母親が病死」】

 前回のboblog「マーキュリー通信 その時人生が動いた-25」で私が1歳の時に家業が倒産したことをお伝えしました。
 父は倒産のショックで仕事のをやる気をなくしていました。
 当然一家は貧乏のどん底で、母は家計のやりくりに随分苦労をしていたようです。
 Hahame そして、過労がたたり、悪性貧血で調布市国領にある慈恵医大病院に入院しました。母はみるみるやせ衰えていきました。私の記憶には、母の腕はしゃもじの柄の部分のようにやせ衰えた印象しか残っていません。
 そして、昭和30年2月15日、今から54年前の今日、30歳の若さで他界しました。
 
 母は美人で頭が良く、しっかり屋でした。私が悪戯をするHaha とよく押し入れや、物置に入れられて、お仕置きをしました。
 母は私にとり憧れの人であり、理想の女性です。しかし、残念ながら私自身まだ幼少だった為、母の声も、顔をもイメージすることができません。母に抱きしめられた記憶もないので、母の愛情をたっぷりと受けなかった渇望感が青春時代の私には潜在的にあったようです。青春時代の私は、女性に対しては、母の理想像を追い求めていたようです。
 母と一緒に撮った写真も私が2歳の時の僅か1枚だけです。後は、母の女学校時代のアルバムを大切に保管しています。

 そして、今の私は母に恥じない人生を生きようと思っています。そして、最期、棺桶に入り、三途の川を渡る時に真っ先に会いたい人は母です。
 母親と再会する時に、母を思いっきり抱きしめ、抱きしめられ、「信雄、よくがんばったねえ」とひと言言ってもらいたい。

 私の後半生は、そんな気持ちで人生を送っています。

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編集後記
 久しぶりに母の写真を見ました。その時は、いつも母が私に注いでくれた愛情を感じる瞬間です。
 そして、いつも涙を禁じ得ない瞬間でもあります。
 
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