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2009年5月26日 (火)

boblog「マーキュリー通信」no.1112【人生の折り返し地点、60年を振り返って-1「人生は自分が主役のドラマ、そのドラマの主人公を演じる自分の描いた人生計画を歩む」】

本日5月26日、満60歳の誕生日を迎えました。私にとり、60歳、還暦とは人生の折り返し地点、丁度中間地点と考えています。つまり、後60年、ダブル還暦である120歳まで生きる計画でいます。
 Hakusho231 その意味で、本シリーズを「人生の折り返し地点、60年を振り返って」と題して10回に分けて書きつづってみたいと思います。

 人生60年を振り返り、人生は自分が主役のドラマだと感じています。自分の描いた人生計画というシナリオに基づき、そのドラマの主人公を演じているのだということを還暦を迎え、実感しています。

 私の少年期は激動の時代でした。1歳の時に家業が倒産し、貧乏のどん底へ突き落とされる。同じ1歳の時に、はしかに罹り九死に一生を得ました。
 貧乏の菅谷家には医者にかかるお金がありません。そこで、実家の祖父が可愛い孫の為にとお金を出し、ダメ元で治療をし、命を取り留めました。

 5歳の時には、母が悪性貧血の為、病死しました。
 その翌年、小学校1年生の時に1つ年下の妹と私を置いて、父が家出してしまいました。普通なら孤児の自分は、孤児院に入るところでしたが、母方の実家に引き取られ、祖母が母親代わりで育ててくれました。

 この体験により、子供ながら自立心がつきました。独立心旺盛な子供に育ちました。又、祖母から質素倹約の教育を受けました。その為、私の金銭感覚は質素倹約が基本です。
 父が家出して10年後、17歳高2の時に、父が突然現れ、再会します。父はブルーカラーで、日焼けしていました。私の元に現れた時には、殆ど所持金もなく、着た切り雀で所帯道具は殆どありませんでした。
 実家で10年間平穏無事な生活を送っていた後に、父と一緒に住むことになり、又貧乏生活に逆戻りです。その時に私は、「父親のような人間には絶対なりたくない」と強く思いました。父親は私にとり反面教師です。そこで、私は、「一生懸命勉強して、将来立派な人間になるのだ」と心に誓いました。
 当時日本は資源が乏しかったので、貿易立国が国是でした。そこで私は、「世界を股にかけるビジネスマンになり、日本国に貢献したい。その為には商社マンになろう」と決意しました。その為に、一橋大学商学部を受験することにしました。団塊の世代の我々の受験競争は熾烈でしたが、貧乏な菅谷家では、浪人する経済的余裕がなく、背水の陣で臨み、その結果現役で合格しました。

 一橋大学に合格することで、その後の運が開けてきました。
 しかし、もう1つ大事なことに後年気付きます。
 目的意識を明確に持ち、目標に向かって努力精進すれば、願い事は叶うのだという自信がつきました。
 「艱難汝を玉にする」という諺がありますが、この時に私の人格形成と人生哲学の基礎ができあがり、それが現在まで続いています。私自身生涯学習と思っていますが、現在も続いています。そして、一生続けるつもりです。
 私の脳裏には、仕事もせずに落ちぶれた幼い頃の父の後ろ姿が強烈に残っており、怠けると父のような人間になってしまうという恐怖心があるのかも知れません。

 さて、これまでの人生を振り返り、自分がこの世に生まれる前に立てた計画通りに行っている感じがします。かなり変わった計画を立てたのも、自分らしいと思っています。
 偶然、菅谷家の長男として生まれたのではないと思っています。病弱な母の子として生まれることを選んだのは私自身と思っています。
 反面教師としての役割を演じることになった父親を選んだのも私です。この変わった家庭環境を選んだ事により、今回の人生の修行課題として、強靱な精神力を培うこともあったのかも知れません。そして、その目的はきちんと果たすことができました。

 更に私の書いた人生シナリオの中で、両親の他、妹、実家の祖父母、伯父伯母、人生の途上で出会った多くの人々三井物産入社後は、多くの上司に可愛がられ、育てられてきたこと、妻葉子との結婚、そして多くの友人等との出逢いを振り返る時、それらの人たちは、自分の魂を磨く脇役として登場してくれた事が理解できます。
 その事に気付くと、人生の途上で出会った人たちに対し感謝の思いがこみ上げ、思わず胸が熱くなってきます。反面教師役の父親にさえ、感謝の気持ちが湧いてきます。

 そう思うと、残りの60年、次の還暦は恩返しの人生を歩んでいきたいと強く思うようになりました。

 現在、心技体共に一番充実しています。だから次の60年は、自分の経験を必要としてくれる人たちの為に役に立ちたい、働きたいと思っています。

 そして、最後は自分の夢である、年金程度で暮らせる一人暮らしの老人ホーム「ユートピア館」を建設していきたい。これが恩返しの人生の集大成と思っています。

◆◆◆編集後記◆◆◆
 boblog「マーキュリー通信」の読者の中でも私と同年代の人が多数います。同年代でも、かなり感じ方が違ったことと思います。同年代の人が、それぞれどのように感じたか、ご意見、感想を送っていただけたら幸いです。

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コメント

お誕生日おめでとうございます!
ある方のお話では、この世に生を受けるとき、自ずから最もその魂を磨かれる環境を選んで生まれてくるもんだということを聞いたことがあります。

菅谷さんがこのご家族とめぐり合い、60年間歩まれてきたこと、そしてその節目に振返られていること、非常に興味深く読ませていただきました。

これからもちょくちょく拝読させていただきます。
有難うございました!

投稿: 山名 | 2009年5月26日 (火) 14時27分

菅谷 様

ここのところご無沙汰しております。
今日が60歳の誕生日で還暦ですね!(本当は数え年みたいですが・・・)おめでとうございます。10回に渡って綴られる自分史のシリーズを楽しみにしています。小生も60年余を生きて来て回顧してみれば、本当にいろんな事に遭遇しまた。いろんな人に出会い助けられて今があると感謝しております。
今、想うと辛かったこともありましたが、当時は明日の自分を夢見て前に進むことしか考えて
いませんでした。
人は『つ』の付く歳、つまり9歳までに人格の大半が形成されると聞いています。
そう云う意味では菅谷さんは宝に囲まれた生活をして来たのでは(決して恬淡な気持ちで申してません)・・・と思っています。実際には筆舌に尽くし難い体験だったのでは、とご推察しております。 でもそのお陰と言っては何ですが、今日の人間として誰からも信頼され尊敬される菅谷像があるのではと私は思っています。
そこらあたりについてのよもやま話をしたいなあ~と常々思っております。
菅谷さんと私は生き方の価値観が相似している
のでは・・・
このことについては又ゆっくりと。

とにかく10回の自分史を読ませていただいた後に感想を述べさせて下さい。

ところでここのところ全くメルマガを開いて読む時間がとれず失念しておりますことお詫び申し上げます。
それでは・・・また。
アツ!それと弘道ではなく宏道ですのでヨロシク

投稿: 丸山宏道 | 2009年5月26日 (火) 15時44分

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