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2009年5月29日 (金)

boblog「マーキュリー通信」no.1115  【人生の折り返し地点、60年を振り返って-4 「私の人生は、強運に恵まれた人生でした」】

 私の60年を振り返り、実に強運に恵まれた前半生だったと痛感しています。
 
 1歳の時にはしかに罹りました。当時、菅谷家は家業が倒産し、治療のお金がありませんでした。しかし、実家の祖父が可愛い孫の為に、治療費を出してくれたお陰で、九死に一生を得ました。当時、まだそれほど小児科医療は発達しておらず、助かることの方が稀でした。その意味で幸運でした。

 次に、母が病死した翌年、小学校1年生の時に、年子の妹と二人を置き去りにして、父親が家出をしてしまいました。普通なら、孤児院送りになるところを、母の実家で引き取られました。実家の伯父さん夫婦には子供がいなかった為、実の子供同様に育てられました。

 一橋大学受験の時もそうでした。団塊の世代の私の時、受験戦争は熾烈を極め、受験倍率が商学部で過去最高の7.9倍になりました。その為、浪人と比べ現役受験者である私は極めて不利な状況でした。しかし、勝利の女神は私を応援してくれました。

 三井物産に入社してからも、私の人事異動は世界的大事件や、日本の大事件、大きな出来事に影響されました。

 三井物産入社時は、営業会計に配属でした。私は、三井物産に内定の段階から営業を希望していましたが、入社2年目の時に、営業部(開発事業部)のT課長からスカウトされ、T課長の所に行くことが決まっていました。当時、開発事業部は、田中角栄内閣の日本列島改造ブームに乗り、営業部員を募集していました。
 しかし、第1次石油危機があり、列島改造ブームは終焉し、一気に不況に突入し、同部に異動する話は立ち消えになりました。もし、石油危機がなければ、私は開発事業部に異動していました。しかし、今から振り返ると、私の性格には余り向いている営業ではなかったようで、この異動取消はラッキーでした。

 その翌年鉄鋼建材部に異動となりました。鉄鋼建材部で、国内営業を3年間やりました。義理人情と浪花節の世界の営業は、余り私の肌に合わず、原料部門への異動を希望していました。
 すると、第2次石油危機が訪れ、石炭が大ブームとなり、石炭部への異動が直ぐに決まりました。
 石炭部には、若手育成の為の研修員制度があり、石炭部の男性社員は全員希望を出していました。私は新参者ですから、当然私の番が来るのはだいぶ先の話でした。
 しかし、私より先の候補者が社内の英語資格に落ちた為、私が繰り上げ当選となり、急遽北米研修員としてカナダ米国6ヶ月間行くことになりました。

 ところが、カナダで研修を受けている最中に、10年ぶりに長期石炭契約が2件もできた為、現地は猫の手も借りたい程超多忙でした。偶々私が研修員として、カルガリー事務所で研修中でした。そこで、急遽研修員からカルガリー事務所駐在員に切り替わりました。
 カナダ駐在員に赴任当時は、毎日深夜まで仕事をする程超多忙でした。しかし、その後はバブルが弾け、仕事が暇となり、増員として駐在した私は、減員の対象となり、カナダ駐在3年半で帰国することになりました。

 その頃、中曽根内閣が電電公社の民営化を実施した為に、三井物産で情報産業開発部を創ることになりました。そこで、私は情報産業開発部に異動を申請し、異動が承認されました。
 
 情報産業開発部に異動した時、本来私の上司になるべきO室長が突然関西支社に転勤となりました。その代わりに上司となったのが星崎治男室長でした。
 星崎さんは、情報産業部門中興の祖と言われた人で、三井物産の取締役まで昇進した人です。戦国武将に例えるなら織田信長のようなタイプの人で、カリスマ的な人気を誇っていました。
 星崎さんに出会って直ぐにテレマーケティングの最大手ベルシステム24の買収の話が持ち込まれました。しかし、同社の買収はCSKに持って行かれました。その後、アンチCSKの同社幹部が、ベルシステム24をスピンアウトし、三井物産とテレマーケティングの新会社を創ろうという話になり、私が担当者に指命されました。
 当時、テレマーケティングは、米国では急成長のビジネスで、日本でも今後大きく伸びるであろうと言われていました。私はテレマーケティングの新会社作りに全力投球しました。そして、できあがったのが、もしもしホットラインです。
 もしもしホットライン設立後は、同社の営業担当役員として、4年弱同社の立ち上げに全力投球しました。もしもしホットラインは、現在、従業員2万人、東証1部に上場する大企業に成長しました。
 この経験が、生涯私にとり、ナニモノにも変え難い最大の収穫となりました。この時の経験があったので、50歳くらいまでには三井物産を早期退職して、事業家の道を歩もうと思っていました。

 1997年頃、商社は氷河期の時代と言われ、大手に伊藤忠や丸紅すら経営危機がささやかれていました。
 そこで、三井物産でも早期優遇対策制度が我々団塊の世代を対象に設けられました。この早期優遇対策制度は極めて魅力的だったので、私はこの制度に直ぐに飛びつき、25年勤務した三井物産を48歳で定年扱い退職しました。

 その後、2002年にマーキュリー物産を設立し、「世界最小の総合商社」というキャッチコピーで各種事業を手がけ、順調に業績は伸びていきました。
 しかし、NTTのBフレッツ事業に失敗し、一昨年大リストラを敢行し、全社員に辞めてもらい、事務所を閉鎖し経営コンサルタントの道を歩み始めました。

 会社は、負債を抱え、経営危機に陥りましたが、昨年4月に一橋大学の先輩のご縁でハナマサのM&A業務に携わることになりました。
 そのお陰で借金も9割近く返すことができ、本年中には全額弁済の目処が立ちました。又、ハナマサのM&A業務も最終段階に入ってきました。

 今月26日に還暦を迎えました。今後は、私の経験を活かし、私の経験を必要としている企業、人の為に働こうと思っていたところに、この度ベンチャー企業サイペントジャパンの社長からの要請で、同社の営業の責任者の話が持ち込まれました。私はこの要請をお受けすることとしました。
 同社は遮熱塗料で急成長しているベンチャー企業で、3年後に上場を計画しています。
 私のミッションは同社を上場させることです。
 上場したら、キャピタル・ゲインで得た資金で、私の夢である「ユートピア館」という一人暮らしの老人ホームを建てる計画です。一時頓挫しかかった私の夢が又復活してきました。

 このように私の60年を振り返った時に、実に強運に恵まれた人生だったと痛感しています。1歳の時に死に損なった私ですから、残りの半生は、これまでの自分の経験を活かし、世の為人の為になるような仕事をしていきたいと思っています。残りの半生は恩返しの人生だと思っています。
◆◆◆編集後記◆◆◆

 同年代の人で人生は80年と勘違いしている人が多いようです。自分たちの親の年齢は80代が多いと思います。10数年前なら殆どなくなっていましたが、今はまだ健在な高齢者が多いです。
 しかし、中には寝た切り認知症の高齢者も多く、その看病に大変な同世代の仲間も多いです。
 我々団塊の世代の頃になると、更に人生90年、100年まで生かされてしまうのです。
人生80年と思ってしまうと、最後の数十年は寝た切り認知症になる可能性が高くなってきます。だから私は本シリーズで人生100年時代を訴えています。

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コメント

ボブさんの人生、波乱万丈ですね.
こうして読むぶんには興味深いですか、
これを生きるとなると、大変だ。

エネルギッシュなボブさん、最近はいろんな
チャンスに恵まれておられますね。
どうぞ夢を実現してくださいね。

クッキーも、私なりに頑張っていきます。

投稿: クッキー | 2009年5月29日 (金) 09時43分

ここまでの4回を拝読して感じたたんですが、想像を絶する苦難の人生だったんですね!
でも・・・その苦労を全部、肥しにしたのか
苦労が顔に出ていないところが良いですね!!
造作ではなく菅谷さんいい顔してますよ(笑)

小さい頃から志を持って生きてきた事が、将に自分自身が創った顔です。うん!間違いない。
これからも華のある人生で、人びとに歓ばれる花を咲かせることの実現を、きっと出来るでしょう。応援してますョ!   hiroより 

投稿: 丸山宏道 | 2009年5月30日 (土) 00時42分

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