« boblog「マーキュリー通信」no.1119 【人生の折り返し地点、60年を振り返って-6「ダブル還暦を生きる 私の夢」】 | トップページ | boblog「マーキュリー通信」no.1121【人生の折り返し地点、60年を振り返って-8「本当の自分に出会う」 »

2009年6月 6日 (土)

boblog「マーキュリー通信」no.1120【人生の折り返し地点、60年を振り返って-7「変人と呼ばれて」】

既にお伝えした通り、私の人生は他人とはかなり変わった人生を歩んできました。そのせいか変人とよく呼ばれてきました。

 三井物産に入社してからもそのように思われていたようです。
 新入社員の時に、カラーワイシャツを着ていったら、上司から注意されました。当時(1972年)、カラーワイシャツはまだ余りポピュラーではありませんでした。私は上司の注意を意に介さず、カラーワイシャツを着用し続けました。

 又、当時三井物産の社内文章は漢字とカタカナ交じり文でした。漢字とカタカナ交じり文は非常に見づらいので、業務日誌を書く時に、カタカナの代わりにひらがなにして提出したら、上司から「三井物産では漢字とカタカナ交じり文が社内ルールなので守るように」と書き直すように指導を受けました。他の新入社員でこんなことをする新入社員はいなかったようです。
 漢字とカタカナ交じり文は、ワープロが普及しだした1984年頃に、三井物産でも世間並みに漢字とひらがな交じり文に改められました。

 入社4年目の1975年に国内の鉄鋼営業部(鉄鋼建材部)に異動となりました。その時銀縁のメガネを掛けていたら、上司から即刻変えるように注意されました。当時はまだ銀縁のメガネは流行っていなかった為、目立つから営業マンには不向きとの理由でした。

 1980年末、カナダに転勤となりました。海外赴任前の研修で、担当役員から、「カナダに駐在したら、日本人とばかり付き合っていないで、カナダ人と積極的に付き合うように」とのアドバイスを受けました。
 私はそのアドバイスを素直に受けて、日本人と付き合うより、寧ろカナダ人との交際を重視しました。そして、夫婦単位で食事に招待したり、されたりしていました。スポーツも一緒にやりました。
 この行為で周りの日本人からは変人扱いされ、「エイリアン」とまで呼ばれていました。

 12年前の48歳の時に、早期優遇退職制度を利用して、すぱっと辞めてしまった時も、皆びっくりしていました。

 そして、現在は、同世代の仲間は定年後の老後や年金の事を考えている時に、「人生の半ば、折り返し地点、後60年を生きる」と宣言していること自体かなり変わり者のようです。私は年金は65歳から支給されるモノとばかり思っていましたが、60歳から支給されることに役所から通知が来て初めて知りました。

 しかし、私自身「変わり者」と呼ばれることを嫌だと思ったことはありませんでした。人と同じ事をあまりやりたいと思わないタイプなので、却って「変人」と呼ばれることを誇りに思っていました。

 これまでの人生を振り返ると、私のやってきたことは、人よりちょっと早く行動をとってきたにすぎません。時間の経過と共に、私のとってきた行動を追っかけで理解してくれている人が多いようです。

 人生100年時代を提唱したり、ダブル還暦宣言をしたり、現時点では確かにマイナーな異見です。しかし、20年後には私の提唱を理解してくれるはずです。
 20年後、我々団塊の世代が80代になった時、100歳まで生きる人が当たり前の世の中になてきます。その時、心身共についていけない人が多数存在して、老いて生き恥をさらすより、早く死にたいという風潮に変わってくることが予測されます。
 政府は、不摂生により生活習慣病に罹り、その結果寝た切り認知症になった老人に対しては、自業自得として健康保険の適用外にしてくることが予測されます。

 そして、人生100年時代など念頭にない政府は、年金医療費の崩壊にあわてふためきます。今のままで人生100年時代に突入すれば、年金は完全になくなってしまいます。だから先日私の異見として、人口2億人時代を提唱しました。こんなことを提唱するのも変人のなせるワザです。人口2億人時代になれば、年金も医療費の問題も解消されます。だから、人口政策を国家の最優先課題にすべき時が来たのです。

 20年後に困惑することは目に見えているので、今から人生100年時代の対策を打っていくことが重要なわけです。

◆◆◆編集後記◆◆◆
 先週の土曜日(5月30日)に調布中学同期会に出席しました。
 60歳で定年退職となる旧友が多く、旧友の関心は、専ら年金も含めた定年退職後の生活設計でした。
 しかし、私自身は今が心身共に一番充実している時で、還暦を機に60歳以降は私の経験を必要としている企業や人の為に働きたいと新たに決意していたところでした。

 6月1日からは、サイペントジャパン社の営業部長として就任することになっていたので、丁度37年前の新入社員の時と同じようにわくわくした気持ちでした。
 こんなところも他人とかなり変わっていると感じました。
 ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆

|

« boblog「マーキュリー通信」no.1119 【人生の折り返し地点、60年を振り返って-6「ダブル還暦を生きる 私の夢」】 | トップページ | boblog「マーキュリー通信」no.1121【人生の折り返し地点、60年を振り返って-8「本当の自分に出会う」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/181862/45258059

この記事へのトラックバック一覧です: boblog「マーキュリー通信」no.1120【人生の折り返し地点、60年を振り返って-7「変人と呼ばれて」】:

« boblog「マーキュリー通信」no.1119 【人生の折り返し地点、60年を振り返って-6「ダブル還暦を生きる 私の夢」】 | トップページ | boblog「マーキュリー通信」no.1121【人生の折り返し地点、60年を振り返って-8「本当の自分に出会う」 »