boblog「マーキュリー通信」no.1243「心のバリアを取り除くと勇気が湧いてくる!」
本日、日本画家梅澤千雅子さんの講演会を聞きましたので、
皆様に講演の感激をお届けしたいと思います
梅澤千雅子さんは、キャリアウーマンとして
第一線でばりばりと働いていました。
しかし、1988年のある日突然体に痛みが襲い、
医者からリユーマチと診断されました。
「その痛みは一生涯続く」と言われ、
終身刑宣告を受けたようなショックを味わいました
その後、痛みは増すばかりで、
1997年には両手両脚が機能不全に陥ったために、
第1級身体障害者として認定されました
夫からのひと言、「外で一緒に歩くとかっこうわるい」と言われ、
ショックを受け、自宅に引きこもってしまいました
24時間365日痛みと格闘する毎日が続きます。
40度のリューマチ熱が10ヶ月間も続き、
地獄の苦しみも味わいました
母親が看病してくれました。
しかし、あまりにもの苦しさに、
母親にグチや罵詈雑言を浴びせます。
こんな自分にした神様も恨みました。
そして、とうとうあまりにもの苦しさに自殺を図りました
幸い命はとりとめました。
その時の母親のひと言が救いとなりました
「息しているだけでいいから、生きとって!」
その時、人間の存在価値を知りました。
梅澤千雅子さんの心の扉は開きました
前に一歩踏み出す勇気が出てきました。
それは今から9年前、2000年のことでした。
梅澤千雅子さんの心は砂漠状態でした。
何でも吸収しようという気持ちでいっぱいでした。
砂漠に水をまくと、水をどんどん吸収していくように、
彼女の心は何でも吸収していきました。
自分の容姿を気にしなくなりました。
自分で勝手にかっこうわるいという
イメージを作り上げていることに気づきました。
翌年、梅澤千雅子さんは
高野山画僧藤原祐寛師と運命的な出会いをしました。
その絵に感動した梅澤千雅子さんは、
直ちに弟子入りしました。
両手両脚が機能不全の梅澤千雅子さんは、
まず線を引くことから始めました。
朝から晩まで線を引くことに専念しました。
そして、線がかけた時の喜びは格別でした
「あきらめないと思ったら形になる」
これが梅澤千雅子さんの悟った言葉です。
しかし、リュウマチの宿命として、よく転倒します。
20年間で4回も骨折しました。
4年前に右肘を骨折した時、医者から再起不能と言われ、
絵を描くことを諦めました
しかし、今年アール・グラージュの光と音楽の絵画と出会い、
再び感動を味わいました。http://www.artrenaissance.co.jp/
アール・グラージュから、再び前に踏み出す勇気をいただきました。
そこで、再起を決意しました。
右腕には人工関節を入れ、再び動くようになりました。
アール・グラージュの第1作は、
「高野山のご来光で瞑想する弘法大師と満開の桜」です。
日の出から日の入りまでの変化を
光と共に演出していく。
その間、桜の色も変わっていく。
まさに光の芸術です。
梅澤千雅子さんの日常生活は、
人の手を借りなければ暮らしていけません。
しかし、物理的なバリアは、
人の援助があれば克服できます。
しかし、心にバリアを作っていると、何もできません。
人は生きているだけで可能性がある。
心のバリアを取り除くと、可能性が開けてくる。
リュウマチでむしばまれている梅澤千雅子さんの体は
今でも24時間痛みます。
しかし、リュウマチのお陰で、
あらたな人生を歩むことができ、
今では神に感謝しているそうです
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