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2010年3月 7日 (日)

「マーキュリー通信」no.1321」【龍馬の如く生きる-7「大きな出っ張りを作る」】

私の所に定年退職の挨拶状が時々届きます。

その時に、「過去数十年大過なく・・・」との記載をよく見かけます。

この言葉は日本人のサラリーマンの心情を良く表しています。

しかし、外国人がこの表現を見たら奇異に受け止めるのではないでしょ

うか。この人はよほど能力がなかったのかと思うかもしれません。

この「大過なく」という言葉が日本を元気なくさせている1つではない

でしょうか。

私の場合、「大過なく」とは逆の人生を生きてきました。

他人と違った人生を歩みながら、荒削りな若者から、金平糖の出っ張り

のようにその出っ張りを大きく伸ばしてきました。

ビジネスマン人生で一番大きな出っ張りを作ったのは、テレマーケティ

ングの新会社もしもしホットラインをゼロから立ち上げ、営業担当の役

員として出向し、同社の創業期の経営の基盤固めに携わったことです。

当時子会社に出向することは、三井物産の社内では出世から外れること

を意味していました。

それなら子会社の立ち上げを成功させ、出向者も出世できるという前例

を作ろうと決意しました。

株式会社もしもしホットラインは東証1部に上場し、現在従業員数25千

人(含む子会社)の大企業となりました。同社が上場した時の上場益は

500億円にもなり、三井物産に貢献しました。

株式会社もしもしホットラインの大成功で、三井物産内で企業内ベンチ

ャー起業家のうねりを創ることができたものと自負しています。

私にとって、人生最大の出っ張りと言えば、省資源の日本に貢献する為

には、貿易商社に入ろうと高校2年の時に決意しました。

その為の最適な手段として一橋大学商学部を選びました。

当時、実家の伯父のコネで調布市役所に勤める道もありましたが、自分

には向かないと断りました。

もし伯父の薦めで調布市役所に勤務していたら大過なく人生を過ごして

いたかもしれず、私にとって最大の悔いとなっていたかもしれません。

その意味で、この決断は私にとり「大過の改心」といえます(*^^*)

◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆

本日の「龍馬伝」は、龍馬が初恋の加尾と結婚の契りを交わした直後、

武智半平太の命令で引き裂かれるという悲しい場面でした。

この悲しい別れに対し、自分のことのように涙が止めどもなく流れ出て

きました(;-;)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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