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2010年7月12日 (月)

「マーキュリー通信」no.1440【未来ビジョン・新しい国づくりを目指す!-21「あきらめなければ、夢は叶う」】

幸福実現党は、昨年の衆院選に続き、今回も予想以上の敗北でした。

最大の原因は、今回もマスコミがきちんと取り上げてくれなかったため、多くの国民にメッセージが届かなかったことです。

しかし、言い訳をしても始まりません。
負けは負けと認め、反省し、次の飛躍に向け、がんばっていきたいと思います。

次の衆議院選挙に私自身立候補する予定ですが、当選の保証はどこにもありません。

しかし、落選を恐れていては何も始まりません。

本日、友人から下記のような励ましのメールから勇気を戴きましたので、ご紹介します。

ピートグレイさんは、1917年、
ペンシルベニア州、ナンティーコークというところで生まれました。

彼は機関車と野球が好きな普通の少年でした。
ある日、父親に連れられて、大リーグの試合を見に行きます。

ニューヨークヤンキースが大好きだった彼。
ヤンキースタジアムで見たその試合。
ヤンキースの攻撃、9回裏、2アウトランナー1塁、1対 0、ヤンキースが負けていました。

少年ピートは、隣にいるお父さんにいいました。

「パパ見てて、僕の大好きなあのバッターが必ずホームランを打って、
さよなら勝ちするからね、きっと見てて、勝てるよ」と、
お父さんはニコニコしながら彼を見てました。

果たして結果はどうなったか。

運命のいたずらとは恐ろしいですね。
ピートの予言通りに、本当にさよならホームランが出たんです。
ヤンキースは見事、さよなら勝ちをしました。

その試合を見たピートは感動しました。
そして、この日から大リーガーになることを夢見て、努力を始めました。

大リーグの世界、知ってびっくり。
下から「Dリーグ」「Cリーグ」「Bリーグ」「ルーキーリーグ」「Aリーグ」「AAリーグ」「AAAリーグ」やっと大リーグになるんです。
彼は大リーグを目指して、それはもう「挫折との戦い」、「苦悩の日々の連続」でした。

6才の時ある事故により、野球を断念しようと思いました。
その時お父さんが、彼にかけた言葉、
それが「諦めるな、やればできる」でした。

ピートは、お父さんのその言葉だけを、胸に信じ、血のにじむような努力を始めます。

草野球チームに入りますが、一度も練習には参加させてもらえませんでした。
しかし彼は不平をいわず、毎日玉拾いをし、一人で素振りの練習しました。
そして、そのかたわら、野球学校へ通いました。
野球学校へ通いながら、いろんな球団の入団テストを受けました。

どうなったか? 

ピートはことごとく、入団テストに落ちてしまったのです。
そして、ピートはどうしたか?
諦めませんでした。
お父さんの言葉通り、諦めませんでした。
そして、雨の日も風の日も、黙々と練習を続ける彼の姿を見て、
心を打たれた学校の先生がいました。

先生は、全米のDリーグの監督に電話をかけました。
「うちにピートという、熱いやつがいる、見に来てくれないか、お願いだ」
その電話に触発され、Dリーグの監督が集まってきました。
そしてピートの晴れ舞台です。
そこでピートは全力でプレーを見せました。

どうなったか?
どこの球団も彼を雇おうとはしませんでした。
ピートはどうしたのか?
打ちひしがれたのか?
いいえ、それでもピートはめげませんでした。
一途に努力する彼。
当然、幸運の女神が見はなすはずはないんですよね。

24才の時、ニューヨークのセミプロ球団、
「ブッシュウイックス」から声がかかりました。
彼は「大好きな野球ができる。僕はセミプロ球団でもかまわない」喜んで入団しました。

そして、そこで、素晴らしい成績を残しました。
こういう活躍を見てるひとがいるんですよね。
その活躍を見ていた、マイナーリーグの「スリーリバース」という球団の監督が大抜擢します。
そして、何とピートはこの「スリーリバース」で打率3.81。
素晴らしい成績を残します。
このような相次ぐ大抜擢にも、全くおごること無く、努力を続けるピートに、
次々と幸運の扉が開かれました。

1943年、AAAの「メンフィス・チックス」に昇格、そして彼は、ついにこのチームでMVPを獲得しました(打率333、盗塁68)

そして、ついに夢の叶う時がやってきました。
1945年大リーグの「セントルイスブラウンズ」がピートの採用を決定しました。
そしてピートの初打席です。
彼は大きく息きをすって、バッターボックスに入りました。
1球目、空振り、2球目、空振り、3球目、空振三振
ピートの初打席は、三振に終わりました。
でもその三振を見て、スタンドの観客達は、総立ちになり、終わらない拍手を送りました。

おかしいですよね??
三振して拍手なんてあり得ないですよね。
その球場の観客達は、そのピートの姿に、釘付けに、されていました。

実は彼は、6才の時の事故で、右腕を根元から切断されていました大好きな機関車を見に行って、その下敷きになったんです。

泣きじゃくるピート。
6才にして、片腕を無くしたピートに、父親がかけた言葉、
それが「諦めるな」だっだのです。

お父さんはこう言いいました。
「あの時、もしも彼から野球という夢まで奪ってしまえば、もう彼には何も残らない。
「諦めるな」と言うしか、他になかった」と。

そしてその言葉だけを信じて、罵られ、差別を受け、練習にも参加させてもらえない、
ずーと入団テストに落ち続けた、その苦い思いを乗り越え、営々と努力し続けた彼。
その偉大な三振に観客は惜しみない拍手を送りました。
でも彼が大リーグに採用されたのは、時が遅かったんです。
寄る年並には勝てず、彼は1年でその生活にピリオドを打ちます。
そして故郷に帰り、少年野球の指導をし、87才で生涯を閉じます。

彼が亡くなる前、我々に残した言葉があります。
この言葉で締めくくりたいと思います。
「私の子供の頃の夢は、ヤンキースタジアムで野球をすることでした。
そして、それを叶えられたことが、自分の人生にとって、もっとも素晴らしい出来事だったと思います。

自分のような、体に障害をもつ者にとって、練習こそが全てでした。
でもたとえ練習しても自分にやってくるチャンスはわずかなものでした。
ある時こう言われたことがあります。
「両方の腕があっても、野球をするのが難しいのに、片腕で野球なんかできるわけがないだろう」

それでも諦めず、自分は常に夢に向かって練習したのです。
最後に好きな言葉を送ります。
『勝者は決してあきらめない。』
ピートグレイ

=====
あきらめなければ、
夢は叶う。
夢は逃げない。
夢は逃げない。

あきらめなければ、
夢は
必ず叶う。

夢をあきらめそうな人がいたら、
この話を聴かせてあげてください。

苦しい時も、
つらく悲しい時も、
なかなか認めてもらえなくても
それが夢への通過点なら乗り越えられる。

あきらめない限り
夢は終わらない

最後まで読んでいただき、ありがとうございます♪

:・'゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。.:*:・'゜☆

--
I can do it! Just do it! Be positive!
感謝

※最近、「未来ビジョン 元気出せニッポン」(毎週土曜日22時30分~23時 BSイレブン)

というTV番組を気に入っています。

生島ヒロシの軽妙なトークに美人アシスタントが味付けをする未来志向

の知的番組です。私はDVD録画して、後から見ています。

◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆

本日友人のT社長とお会いした時、
T社長も「マーキュリー通信」を毎日読んで戴いているとのことでした。

「「マーキュリー通信」を読んでどんなことを感じましたか?」と聞いたところ、
「菅谷さんの純粋さを感じました」とのことでした。

「既存政党の代議士がどんなきれい事や抱負を語っても、私のこの国を良くしたいという純粋な思いだけは負けない」と「マーキュリー通信」を通じ、語ってきました。

私の純粋な思いをしっかりと受け止めて理解して戴ける読者が一人でもいることに勇気を頂きました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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