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2010年9月 5日 (日)

「マーキュリー通信」no.1480【龍馬の如く生きる-25「龍馬の如く生きる-25「不惜身命の戦い」】

本日の「龍馬伝」は、ドラマのセミファイナルともいえる寺田屋騒動でした。

薩長同盟密約の噂が幕府に流れ、龍馬は宿泊先の寺田屋で幕府に襲われ、お龍の薩摩藩邸への必死の通報と龍馬の護衛、三吉慎蔵の助力により、九死に一生を得る。

この時から龍馬は幕府のお尋ね者となり、まさに不惜身命の戦いとなります。この部分になると、平和な現代に生きている私など龍馬の足元にも及びません。肝の据わり方が全然違います。だから龍馬に憧れるわけですが。

現代人でも不惜身命とか身命を賭してという言葉を使う人が時々います。しかし、この言葉は余り軽々しく使うものではないと思います。龍馬の時代は、価値観の違う者を、異なった正義の美名の下に容赦なく殺戮しました。本日の「龍馬伝」では、新撰組の近藤勇には、龍馬は、幕府に反旗を翻す国賊と映ったわけです。

ただ、現代の日本でも価値観の大きな転換をしていく時に、この不惜身命という言葉は当てはまる場合も出てきます。価値観の転換により損失を受ける利害関係者による暗殺、抹殺行為がそれに当たります。

この不惜身命という言葉が真っ先に思い浮かぶのが岸信介首相です。岸首相は、左翼の過激派から命を狙われ、身命を賭して日米安保条約を締結しました。そのお陰で、現代の日本は平和を謳歌できているわけです。

さて、現在は戦後65年間に亘り築いてきた価値観、利権構造を壊し、新たな価値観を創り上げていく転換期です。私はそのことを「マーキュリー通信」を通じて繰り返し訴えてきました。

もし、私が政治家として世に出た場合、そのようなリスクも出てきます。その時は、自ずと不惜身命という気持ちが湧いてくる事と思います。その時は死を恐れることなく、難題、難問解決のために龍馬の如く奔走していることと思います。

なぜなら、国を良くするために命を全うするのなら、私は天国に召されることを知っているからです。後は龍馬の如く、天国から高みの見物です。そして、それが私の死生観でもあるからです。

◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆

今、民主党が国民から遊離した醜い代表選を展開しています。
善人の顔をした悪党と悪人の顔をした悪党の戦いです。

前者は、左翼の市民運動家であり、この人に引き続き国政を任したら、日本は確実に沈没していきます。

後者は、悪魔の大魔王だけに最悪の場合には、日本がヒトラーのドイツになるリスクがある一方で、現在の日本をぶちこわして、新生日本を立ち上がらせる可能性もあります。

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