【ウィークリーマンションツカサで一世を風靡した川又三智彦社長の『どん底と自分科学』】
第96回「新しい時代を創る経営者の会」は、ウィークリーマンションツカサで一世を風靡した川又三智彦社長の『どん底と自分科学』(サブタイトル(物理学的に奇跡を引き寄せる方法)でした。
川又三智彦社長の人生はまさに奇跡と言えるものです。
バブル全盛の頃は1000億円の含み資産を誇っていた川又社長ですが、91年の日銀の総量規制によるバブル崩壊で1500億円の借金王に転落してしまいました。
その借金を20年かけて返済してきました。
ウィークリーマンションツカサに貸した金融機関はノンバンクも含め50社以上でした。
その間、銀行破綻、統合等で50社以上の金融機関の全てが消滅してしまいました。
元興銀の融資担当者は、有限会社に貸したのが興銀としてはこれが最初で最後と言っていました。
その意味で川又社長は強運の持ち主と言えます。
一方で、ウィークリーマンションツカサの支援に出たのがリーマン・ブラザーズでした。
川又社長もまさかあのリーマン・ブラザーズが破綻するとは当時ゆめゆめ思っていなかったのですが、結果は皆さんご存知の通りです。
そして、川又社長は会社で790億円、個人の連帯保証で830億円もの負債を抱えて倒産しました。会社も個人の資産も全て失い無一文になりました。
中学高校クリスチャンの学校で教育を受けた川又社長は、この時、神はいないと叫んだそうです。
その後、本を徹底的に読み、過去20年間で6千冊の本を読んだそうです。
その結果、日頃励行すべき大事な結論に至ったそうです。
それは「記録をする」ことです。
記録を時々振り返ることで、そこからものが見えてくることがあります。
その結果、人生が好転したり、奇跡が起こってきたりします。シンクロニシティ(共時性)、つまり意味のある偶然も起こり始めています。
この2年の間に2度の脳梗塞と2度の大きな事故で入院。臨死体験も経験しました。そして、死後の世界も垣間見てきた感じです。
川又社長が背負った巨額の債務も1年の裁判の結果、免責となりました。
皆さん、まさかと思うでしょうが事実です。まさに奇跡としか言いようがありません。
これも「記録をつける」事が起因しているといえます。
さて、現在川又社長はご自分の夢である昭和30年村構想を会津若松に実現しつつあります。
それもたった一人で全て実行しています。
昭和30年村は、街頭テレビに巨人のON、力道山や相撲の栃若に庶民が群がっていた時代でした。人々は決して生活は豊かではなかったけれど、お互いに心が通い合い、国民全員が夢と希望を持っていた時代でした。
川又社長は、そんな元気だった頃の日本を復活したい、その具体化策が昭和30年村です。
そんな川又社長の夢が、会津若松の地で、実現するチャンスが訪れました。陣馬湖周辺の80万坪(東京ドーム57個分)の広大な別荘地が昭和30年村の候補として上がりました。
川又社長は、ここで昭和30年村構想を実現する為に、活動資金として2000万円を親類縁者から集めることに成功しました。
しかし、ここは地元の人が詐欺にあった場所です。
その為、川又社長が単身乗り込んでも当初は全く相手にされませんでした。
しかし、川又社長の情熱が徐々に地元の人の心を突き動かし始めました。そして、昨年昭和30年村が動き始めました。
そして、複雑な権利義務関係も解消し、今年の6月にやっと昭和30年村事業としてスタートする事ができました。
それまでに川又社長は何と91回も会津若松に通ったそうです。
今では川又社長に協力するシニアボランティアも集まり、昭和30年村は軌道に乗り始めました。
1年後には昭和30年村は完成の目処が立ってきました。
その為には多くの人の力が必要です。
川又社長は全国からボランティアアルバイトを募っていますが、昭和30年村の趣旨に賛同し、たくさんの人が参加を希望しています。
川又社長は、母子家庭、父子家庭、ネット難民等社会的弱者を中心に集めようと考えています。
昭和30年村では、映画館、駄菓子や、芝居小屋の建設を企画しています。温泉は近くに東山温泉があるので、湯治場として活用できます。猪苗代湖も2kmの至近距離にあります。
昭和30年村では、介護老人も生き生きと暮らすことができます。介護老人が自宅の縁側で簡易喫茶を開きます。100円程度の喫茶代を訪問者から戴き、訪問者と会話することも可能です。
ここでは介護老人も昭和30年村を運営する担い手としての役割を演じることができます。
現代の老人ホームは、建物は立派でも、そこに住む老人は孤独です。
昭和30年村では、老人、子供の心のふれあいの場も至る所で演出します。母子家庭、父子家庭の子供も寂しくありません。
要は、人間は住まいと食事さえ確保できれば、後はそれほど収入がなくても充実した生活を営むことができます。
これが昭和30年村のコンセプトです。
一方、この辺りは冬は豪雪と強風の地帯で、地元の人からも敬遠される場所です。
しかし、川又社長は持ち前のアイデア力で、ここをスノウウィンドサーフィンのメッカにしようと計画しています。
1つの昭和30年村を建設するのに30億円程度かかるそうですが、これはウィークリーマンション1棟分の建設費用だそうです。
建設資金は借入金を考えており、その目処も立っているそうです。
全国には遊休地は至る所にあります。
土地を有効に働かせることで、そこに住む人間の生活の面倒をみる。
新たな年金制度の構築を考えています。
全国の遊休地を活用し、昭和30年村を造れば、日本全体の活性化に繋がると川又社長は信じています。
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
これまで川又社長とは数回お会いしていますが、いずれもセミナー等で名刺交換しただけでしたので、心理的距離感がありました。
しかし、今回は私が主催する「新しい時代を創る経営者の会」で講演をして戴き、懇親会でも直接お話をする機会にも恵まれました。
一時代を築いた大企業のトップにも拘わらず、川又社長は飾らず非常に謙虚な印象を受けました。
又、心根の部分でも琴線に触れました。つまり、挫折体験からどん底まで落ち、弱者の気持ちや立場も理解するようになったことと思います。
そのどん底体験が心の通った形で、彼らのお役に立ちたいう気持ちが昭和30年村事業の推進に現れています。
そして、さすが一世を風靡した方のお話だけに、単に構想倒れでなく、現実に昭和30年村を実現しつつあることは凄いことです。
それを一人の力でやり遂げてしまうところに、川又社長の力量、器の大きさを直接感じることができました。
そして、川又社長の思いやり、優しさをいっぱい戴くことができ、私自身大切な宝物を戴いた感じがします。
その宝物は川又社長の思いがぎっしりと詰まった昭和30年村事業の事だと思います。
来年10月の紅葉の時期には、会津若松の昭和30年村を「新しい時代を創る経営者の会」の仲間と共に訪れることを決めました。今から楽しみです。
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