「マーキュリー通信」no.1690【渋沢栄一とサン・シモン主義】
日仏会館と財団法人渋沢栄一記念財団共催で、鹿島茂教授(明治大学国際日本学部)の講演「渋沢栄一とサン・シモン主義」を聞きました。
サン・シモン主義とは、我々日本人にはなじみがない言葉ですが、明治の近代日本経済の最大の功労者渋沢栄一の基礎となったものです。
1867年渋沢栄一は、徳川慶喜に随行してパリ万博を訪ねました。そこで目にしたものは、近代国家フランスでした。
フランスを近代国家にしたのがサン・シモン主義でした。
近代国家の前のフランスでも、キリスト教の影響で金儲けは悪と思われていました。
サン・シモンは、キリスト教に現世利益を加えました。このしくみが富と繁栄をもたらすと主張しました。
サン・シモン主義は、株式会社組織、銀行、物流の核となる鉄道建設の3要素を掲げています。
しかし、当時競争の行き過ぎの結果、粗悪商品が出回りました。
そこで考えたのが第4の要素として万博でした。万博に業者から出品させ、より良い商品を安く作るように仕向けました。優秀商品には金銀銅メダルを与え、競わせました。
これをまねたのが近代五輪の創始者クーベルタン男爵でした。
サン・シモン主義による資本主義は、ナポレオン3世の支援もあり、あっという間にフランスで広まり、僅か15年でフランスの近代資本主義が完成しました。
その頃渋沢栄一がフランスを訪れました。
渋沢栄一は、埼玉県深谷市の豪農の生まれです。幼い頃から、農産物の商売に接し、商売の何たるかを肌で知っていました。
当時27歳の渋沢栄一は、近代国家フランスから貪欲に諸制度や知識吸収しました。その一番がサン・シモン主義でした。
他にも多くの日本人がパリ万博に行ったのですが、尊皇攘夷の志士たちには、サン・シモン主義を理解することができませんでした。
渋沢栄一は国立第一銀行の設立を皮切りに、500の企業の設立に関わりました。鉄道建設にも関わりました。
更には、近代的産業人を育成する為に、東京商科大学(現一橋大学)、東京商工会議所、証券取引所を始め600の組織を立ち上げました。
渋沢栄一は、サン・シモン主義で謳った近代日本産業のレギュレーターとしての位置付けでした。その理念は、競争原理と自己抑制でした。その倫理のベースが論語です。
明治時代で対比される人物に三菱財閥を創った岩崎弥太郎があげられますが、こちらは米国型の自由主義だけの資本主義を採用しています。
尚、サン・シモン主義は、資本主義そのものですが、socialismという言葉を使用した為、エンゲルスが社会主義の先駆けと誤解しました。
日本人も、マルクス、エンゲルスの誤解から、サン・シモン主義を社会主義と勘違いしている人も多いようです。
サン・シモン主義はこれまで殆どスポットライトが当たらなかったのですが、80年代以降漸く日の目を見るようになりました。
日本の近代資本主義に大きな影響を与えたサン・シモン主義は、今後もっと日本人が理解すべき概念と言えます。
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
母校一橋大学の創立者、偉大なる恩人である渋沢栄一翁の業績や遺徳を学ぶ為に、最近渋沢栄一に関する知識を貪欲に吸収しています。
教育として、もっともっとこの明治の偉人を学校でも教えるべきと思います。
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