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2011年8月15日 (月)

「マーキュリー通信」no.1432【東北の旅(平泉中尊寺)】

平泉中尊寺が世界遺産に登録されたと聞いたので、平泉の中尊寺、毛越寺まで足を伸ばしました。

Dsc01318


中尊寺は、奥州藤原氏3代で築き上げた壮大な仏教建築と庭園で有名です。境内には樹齢300~400年の杉がそびえ立ち、荘厳さをもった癒やしのスポットです。

奥州藤原氏3代は仏教を篤く信仰し、武装中立を保っていました。3台目の秀衡が義経をこよなく愛したので有名です。

しかし、その秀衡が他界し、4台目の泰衡の代になり、頼朝に義経討伐の命令が出て、それに従い、やむなく義経を殺害しました。

しかし、その後泰衡は頼朝に亡ぼされ、奥州藤原氏の栄華は断たれました。

「夏草や強者たちの夢の後」とその時松尾芭蕉が詠んだことで有名です。

◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆

ローカル線の旅だったので、電車の中で本を10冊も読みました。東京を出る時に持参した本は全て読んだ為、中尊寺で司馬遼太郎著「義経上下巻」を買って読みました。

司馬遼太郎の義経観は「直情径行」のひと言です。Dsc01323



これに対し、頼朝は公家政治の終焉と新たな武家政治の確立という青写真持ち、戦を戦略的に行っています。

時代の流れから見ると、義経の役割は、日本初の武家政治確立の為の脇役に過ぎなかったと言えます。しかし、最強の脇役であり、義経なかりせば、平家を亡ぼすことは適わなかったかも知れません。

私自身も人間的には義経の方が好きです。

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