「マーキュリー通信」no.1433【会津若松昭和30年村を訪ねて】
会津若松昭和30年村は、ウィークリーマンションで一世を風靡した現在の川又さち彦社長の夢の実現です。
日銀総裁三重野氏の総量規制という非常最悪の引き締め政策の影響をもろに受け、含み資産2500億円を誇ったウィークリーマンションは黒字倒産してしまいました。
川又社長は、会社と個人両方のそれぞれ800億円前後の負債を抱え、破産宣告をしました。
その後、2度の脳梗塞から奇跡の復帰を果たし、昨年は自ら運転するブルドーザーが崖か
ら転落し、あわや失明の危機にも遭いました。
それらの挫折、逆境をはねのけ、2年前から会津若松市の猪苗代湖の西側にある別荘地(80万坪)で会津若松昭和30年村を建設中です。ここには8万坪の陣馬湖もあり、風光明媚な場所です。
昭和30年村は、大好評だった映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を再現しようとするものです。
昭和30年代は、巨人軍のON全盛時代、大相撲の栃若時代、プロレスの力道山全盛時代でした。3種の神器(TV,冷蔵庫、洗濯機)が普及し始めた頃です。
モノには恵まれていない時代でしたが、人々の心の触れ合いがあった時代でした。
私は当時小学生でしたが、モノが溢れる現在と比べどちらが良いかと聞かれたら、迷わず昭和30年代と応えます。
川又社長は、会社と個人両方の破産宣告を受けた為に、文字通り一人で孤軍奮闘、2年間でようやく形が見え始め、来年春には仮オープンの段階までこぎ着けました。
会津若松昭和30年村は、別荘地として開発されたところでしたが、バブルが弾け、荒れ放題に放置され、別荘地の権利関係は非常に複雑になっていました。
その複雑に絡み合う権利関係を、不動産業界プロの川又社長が一つずつ丁寧に解きほぐし、現在の状況までもってきたそうです。
又、川又社長は、重機類の運転免許も自ら所有し、自ら別荘地の開墾もやってきたそうです。
前述のブルによる事故も、その一環だったそうです。
夢に向かってまっしぐらに突き進む少年のような川又社長、そして飾らず淡々と夢を熱く語る川又社長の思いに引き寄せられ、ただただ脱帽し、敬服するだけです。
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
今回、川又社長が借りている会津若松のアパートに同宿することになり、深夜まで語りあ
いました。
川又社長は、飾らない性格で、案内してくれた車も軽自動車でした。これは破産宣告前からそうしているそうです。
同じ団塊の世代、2年先輩の川又社長から多くのことを教えて戴きました。
そんな川又社長に感謝の気持ちでいっぱいです。そして、いずれは何らかの形で恩返しできないかと思っています。
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