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2011年10月10日 (月)

「マーキュリー通信」no.1764【円を創った男】

日常ごく当たり前に使っている円ですが、誰が創ったかと答えられる人は少ないと思います。

小説「円を創った男 大隈重信」(渡辺房男著、文春文庫650円)では大隈重信の人物伝も含め、明治維新の頃、日本が近代国家を進むに際し、貨幣の重要性を再認識しました。

幕末維新の頃、戊辰戦争で政府が大量の太政官札を発行したために、超インフレとなり、一方で各藩も大量の藩札を発行したために、通貨に対する信用が著しく低下し、庶民の生活を圧迫していました。
これらの通貨の共通点は、政府や藩の信用で発行するいわゆる不換紙幣でした。従って、大量に刷りすぎればインフレとなります。

明治維新となり、諸外国との通商も活発となり、これまでの通貨制度を維持することが困難となってきました。

そのような情勢の中、時の大蔵卿大隈重信が新貨幣制度創りに全力投球します。欧米の実態も調査し、どのような貨幣制度にすべきか種々検討します。
当初金銀両方の価値を基にした、金銀本位制にする予定でしたが、これでは複雑になるとのことで、銀本位制にするつもりでいました。

しかし、米国貨幣制度を視察にいった伊藤博文が帰国し、上司の大隈重信に金本位制を進言し、それが採用されました。

さて、通貨の形と呼称単位を何にするかで大きくもめました。これまでの小判は長円形でした。しかし、大隈重信は諸外国にならい円形を主張し、公家集(岩倉具視、三条実美)や元老(大久保利通、木戸孝允)を説得しました。

次に、呼称単位ですが、大隈重信は当初「両」の代わりに「元」を考えていました。「元」という呼称は、元寇のイメージもあり、反対論が相次ぎ、結局丸い通貨「圓」に丸く収まりました。

そして1圓=1ドルにしました。補助単位として、1圓=100銭、1銭=10厘とし、欧米にならい10進法を採用しました。
これまでは日本独自の換算方法を採用していたのですが、複雑だったため、分かりやすくしました。

実は中国読みでは、「元」も「圓」も同じユアンと読みます。このため、元の略記号に¥が使われるのはその為です。中国に行くと、店の値札に¥マークがついているので、びっくりした方も多いでしょう。

もし、当時日本の通貨の呼称単位を「元」に定めていたらどうでしょう。
中国から見れば、中国の属国日本が同じ通貨の呼称単位を使っていると勝手に思い込み、ドル通貨圏に対抗し、「元」通貨圏を展開していたかも知れませんね。

さて、明治4年5月に新貨条例が公布されました。そして3年の歳月を掛け、旧貨から新貨への切替が完了しました。

明治初期の頃に、この大隈重信の迅速な行動のお陰で、我が国の貨幣制度が確立し、近代国家日本の発展の礎となりました。

その後、紙幣も発行されるようになりましたが、当時日本の紙幣製造技術では偽札が横行したため、スタート当初は欧州の技術援助の下に発行しました。

さて、その後明治10年に西南戦争が起こります。新貨幣制度は、金と交換できる兌換紙幣にしていなかったために、戦費調達のために、大量の紙幣を刷り、インフレを招きます。

大隈重信は直情径行型の人物で、明治の元老大久保利通とも何度も衝突があったようです。

しかし、本書「円を創った男」を読んで、大隈重信こそ1万円札にふさわしい活躍をした人物と言えるのではないでしょうか。

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