「マーキュリー通信」no.1808【奇人変人の異見-166「オウム真理教刑事裁判「マーキュリー通信」no.1808【奇人変人の異見-166「オウム真理教刑事裁判終結」を考える】
地下鉄サリン事件で殺人罪などに問われ、オウム真理教事件の刑事裁判で最後の被告となった元幹部遠藤誠一被告の死刑が確定しました。これで、95年3月の教団への強制捜査から16年8カ月を経て、オウム真理教事件は事実上終結しました。
日本のマスコミは一連のオウム真理教関連の事件を、新興宗教集団が起こしたと報道してきました。本来、人を救うはずの宗教が、「一体なぜ?」といった興味本位の取り上げ方でした。
しかし、私は「オウム真理教=国家転覆を企んだテロリスト集団」という捉え方をするべきだと思っています。
戦後、マッカーサーのGHQ日本占領軍は、日本の精神的支柱である宗教を追放するために、日本から宗教に悪いイメージを与えました。「触らぬ神に祟りなし」という格言ができ、宗教に近寄らない方が身のためという風潮ができました。
その為、日本人には宗教に対する忌避感ができると同時に、良い宗教と悪い宗教を判断する能力も失ってしまいました。
そこに現れたのがオウム真理教事件でした。宗教に対する基本知識があれば、オウム真理教は直ぐに邪教であることくらい理解できます。
90年代は、幸福の科学を始めとする新宗教が起こり、宗教ブームが起こりました。しかし、この流れにストップを掛けたのが、オウム真理教事件でした。
その影響は、その後の日本人の精神的荒廃を見れば、よく分かると思います。
失われた20年で日本人はすっかり自信をなくしました。
その時に必要なのが精神的支柱なのですが、それが宗教です。しかし、オウム真理教事件のトラウマにより、正しい宗教にも近づこうとしません。
早くオウム真理教事件のトラウマから日本人が解放されることを望みます。
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