「マーキュリー通信」no.1925【祝!㈱もしもしホットライン創業25周年】
本日は㈱もしもしホットライン創業25周年の記念日です。
テレマーケティングの専業会社㈱もしもしホットラインは、今から25年前の1987年6月23日に誕生しました。
㈱もしもしホットラインの創業に関わったことが、私のビジネスマン人生に最大の影響を与えました。
私は1986年11月末に、念願が叶い三井物産の鉄鋼部門から新設の情報産業部門に異動してきました。
三井物産で部門が変わるということは社内転職のようなものです。
鉄鋼部門と情報産業部門とは営業の仕方が全く異なります。同じ三井物産の社員ですが、体質も気質も全く異なります。
情報産業部門に異動してまもなく、上司の星崎室長(当時)からテレマーケティング会社の買収の指示、そしてその後テレマーケティングの新会社㈱もしもしホットラインの設立に変わりました。
最初は、テレマーケティングの事業会社の企画立案、事業計画から給与体系、就業規則等テレマーケティングの経験者のアドバイスを受けながら全て一人で行いました。
管理部門からは、「三井物産がテレクラをやるのはけしからん」と猛反対されたこともありました。
会社には毎朝6時には出社し、毎晩深夜タクシーで帰宅しました。もうへとへとの状態でした。
しかし、やっと稟議許可が下りる見通しが立ち、人的助っ人も頂きました。
そして、6月23日に当たる本日会社設立の運びとなりました。
㈱もしもしホットラインの設立記念パーティは、関係者を集めて、同日三井物産の子会社ホテル高輪(現在の幸福の科学東京正心館)で行われました。
その時の感激を今でも覚えています。
その後、㈱もしもしホットラインは、多少の紆余曲折はありましたが、通信市場の規制緩和で、通信市場が急拡大したおかげで、急成長することができ、東証一部に上場を果たすことができました。
現在は、年商1000億円、従業員数25千人(グループ企業、パート含む)の大企業に成長できました。
私自身は、㈱もしもしホットラインの設立前後4年半関わりました。この経験により生涯一番力をつけることができました。
ベンチャー企業との出会いはこの時が初めてですが、その時以来現在に至るまで100社以上のベンチャー企業と様々な形で関わってきました。
そして、現在では8社の顧問となり、20の仕事に関わっています。
私にとっては、㈱もしもしホットラインは、ビジネスマン人生最大の思い出であり、心のふるさとでもあります。
㈱もしもしホットラインの初代社長には、当時の上司の星崎室長が就任しましたが、このチャンスを与えて頂いた星崎治男氏には本当に感謝しています。
上司の立場から見たら、情報産業部門の新参者であり、未経験者の私をテレマーケティングの新会社の設立の責任者に抜擢することは大きなリスクと思いますが、敢えて断行した星崎治男氏の決断力には感謝しても感謝仕切れません。
逆に、現在の私がその当時の星崎治男氏よりはずっと年上になったわけですが、人の能力を見抜く鑑識眼の重要性をその時学ばせて頂きました。
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
当時の三井物産では関係会社への出向は出世から外れることを意味していました。
周りからは「せっかく出世街道に乗ってきたのに、なぜわざわざ出向するのだ」という声も聞かれました。
しかし、その時私は、「それなら関係会社に出向して、成功させ、出世コースを切り開けば良いではないか」と反発しました。
現在では、関係会社に出向することは、当たり前の時代となりましたが、当時はまだそのような考え方が支配していました。
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