「マーキュリー通信」no.2225【幸福になれない症候群-3「不幸だと思い込んでいる人へ」】
世の中には自分のことを不幸だと思い込んでいる人が時々います。
自分が不幸かどうかは自分の思いで決まってきます。
私の場合、5歳で母親が病死し、翌年小学校1年生の時に父親が家出しました。
その10年後に父親が戻ってきて、再び一緒に暮らすことになりました。再会したときの父は、日当の肉体労働者で、その日暮らしの生活をしていました。
それまでは実家に預けられていたので、そこそこの生活をしていたのですが、父と暮らすことで、また貧乏生活に逆戻りです。
私の子供時代は波瀾万丈のスタートでしたが、私は父を恨んだことを一度もないし、自分が不幸だと思ったことも一度もありません。
ただ、父親は反面教師で、「父親のような人間にはなりたくない」とずっと思っていました。
それには一生懸命勉強して、将来は「世界を股にかけるビジネスマンとして活躍するのだ」と心に誓っていました。
又、父には頼れないと常々思っていたので、自立心旺盛な人間に育っていきたました。
又、貧乏を経験しているので、質素倹約の生活が身につき、これが蓄財の大きな要因となりました。
もし、私が子供時代を不幸だ嘆き、周りの人に当たり散らしたり、愚痴を言っていたら、今の私はなかったと思います。
子供時代から明るく天真爛漫な性格だったので、不幸を不幸と感じませんでした。
要は、不幸かどうかは自分の思いが決めるのであって、不幸を嘆いても、事態が好転するわけではありません。
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