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2013年11月 6日 (水)

「マーキュリー通信」no.2274【大東亜会議70周年記念大会に参加して】

70年前の1943年11月5日~6日の2日間に亘り、大東亜戦争の真っ最中に日本の帝国議事堂(現在の国会議事堂)でアジアの7カ国が日本主催の大東亜会議に参加しました。

当時のアジアの独立国は、日本、中華民国、満州国、タイの僅か4カ国だけでした。これに日本の協力で独立が実現したフィリピン、ビルマの両国が参加し、もう1カ国は日本と共に英国と独立戦争で戦っていたインドでした。

大東亜会議の目的は、米英の植民地主義に対抗して、アジアの共存共栄の下に人種平等政策でした。

米英の植民地主義は、資源争奪型のもので、多くの犠牲者の上に成り立っていました。

一方、日本の植民地主義(米英との比較上敢えてそう呼ぶなら)は、港湾、鉄道の建設、殖産興業、教育推進が中心でした。

このお陰で、戦後アジア諸国の独立の際、インフラが既に構築されていたので、戦後の発展に大いに寄与しました。そして、アジア諸国は中韓朝の3国を除き全て親日国家で、今でも日本に対する恩義を忘れていません。

大東亜会議の提唱者は、当時の重光葵外相で、会議の主催者は当時の東條英機首相でした。

大東亜会議は、リンカーンの奴隷解放宣言より歴史的意義、功績としては、はるかに凌ぐものです。

なぜなら奴隷解放宣言は、米国内に止まり、極めて限定的でした。そして、黒人に対する人種差別はキング牧師の運動までずっと行われていました。

一方、大東亜会議は、世界初の有色人種によるサミットであり、大東亜会議開催が引き金となり、大東亜戦争終結後、アジア諸国が次々と独立していったからです。

更には、南アフリカの人種差別撤廃、米国の人種差別撤廃にもつながっていきます。米国では黒人の大統領まで誕生しています。

さて、大東亜会議はアジア諸国の独立開放へとつながっていきましたが、まだ完全ではありません。

欧米の植民地主義をまねて現在では中国(正確にはシナ)が、植民地主義を進めています。満州は、シナにとっては異民族国家であり、シナに併合されました。

又、少数民族自治区のウィグル、チベット、内モンゴルでは、シナの侵略により、大量虐殺、資源争奪、民族の存亡危機にまで発展しており、我が国の平和に重大な脅威となっています。

シナの植民地主義から日本を守るためにも、今こそ日本は勇気を持って立ち上がり、130万人の英霊が祭られている靖国神社参拝を行い、事実をねつ造、曲解している教科書の改訂、そして、戦後自虐史観を打破し、先祖を称える教育と社会への変えていく必要があると言えます。

◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆

永田町の憲政記念会館の600名収容の大講堂は立ち見が出るほどの大盛況でした。しかし、これほどの偉業なら、本来政府主催で東京ドームで行うくらいの規模であって欲しいです。
そして、大東亜会議の11月5~6日をこそ、国民の祝日にして、先人の遺徳を称えるべきと考えます。

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