「マーキュリー通信」no.2297【大ベストセラー書「永遠のゼロ」の映画観賞で感涙!現代の日本人が失っているモノを学びました!】
本日、映画「永遠のゼロ」を見ました。
感激、感激、そして涙、涙、涙でした。
最高傑作映画です!
この映画は、ゼロ戦特攻隊員宮部久蔵の壮絶な感動ドラマです。
孫の佐伯健太郎は、司法試験に4年連続不合格でやる気をなくし、毎日怠惰な生活を送っていた。
ある日、祖母の死の時に、これまで祖父と慕っていた大石とは血縁関係がないと知りショックを受ける。好奇心の強い姉と一緒に実の祖父宮部久蔵探しの旅に出かける。
祖父宮部久蔵を知る旧軍人は、宮部久蔵を「臆病者」と酷評する。しかし、その臆病者は誤解で、祖父宮部久蔵は、限りなく妻と生まれたばかりの娘を限りなく愛していた。その妻子に会いたい為に、何が何でも生き延びて生還する決意をする。
当時、このような考え方は国賊扱いであり、決して許される考え方ではなかった。
宮部久蔵は、お国のために死ぬのではなく、生き延びて、戦後の日本にお役に立つことの方が重要と考えていた。そして愛する妻と娘のためにもその決意は固かった。
宮部久蔵は、超一流のゼロ戦戦闘機のパイロットだった。
最後は、ゼロ戦特攻隊員の訓練教官となった。そこで、多くの若者をゼロ戦特攻隊員として送り出し、犬死にさせてしまった。
責任感と愛情深い宮部久蔵は、自責の念に駆られ、生きる気力を失ってしまう。そこで、ゼロ戦特攻隊員大石と出会う。
宮部久蔵は、自らもゼロ戦特攻隊員を志願する。その時、大石が乗る筈だった旧式ゼロ戦戦闘機二一型に自ら搭乗し、代わりに自分の乗る予定でいた五二型機を大石に譲る。
宮部久蔵は、最期ゼロ戦特攻隊員として、米国戦艦に果敢に突っ込み非業の死を遂げる。
一方、大石が搭乗した五二型機は途中で故障し、不時着し、九死に一生を得る。五二型機の中には、宮部久蔵の妻子の写真と遺書「妻子をよろしく」が遺されていた。
これを見た大石は、宮部久蔵の生まれ変わりとして、妻子に会い、求婚する。
大石は、これまでずっと宮部久蔵の妻と結婚したことを隠してきたが、妻の死をきっかけに全てを語り、物語は終わる。
「永遠のゼロ」は、CGをふんだんに使い、ゼロ戦戦闘機の空中戦や、爆撃され海に火を噴きながら突っ込むシーン等リアルでど迫力の世界が展開されます。
そして、最期は宮部久蔵が米国の戦艦目指して突撃するシーンで終わります。
「永遠のゼロ」では、武士道精神の長短が印象に残りました。長所は、日本国に誇りを持ち、死をも恐れない突撃精神、短所は視野が狭く近視眼的なモノの見方、宮部のような異見を一刀両断で否定する寛容さに欠ける精神構造。
しかし、「永遠のゼロ」は、現代の日本人が忘れていた何かを教えようとしています。
現代の若者やマスコミが、短絡的にゼロ戦戦闘機を自爆テロと揶揄していますが、ゼロ戦戦闘機は決して自爆テロではない。自爆テロは、民間人をも巻き込む爆破と殺人だ。
しかし、ゼロ戦戦闘機は、敵軍に狙いを定め攻撃する決死の戦闘機であることが最大の違いです。決して、民間人を巻き添えにすることない。そこには武士道精神が根付いている。
そして、最後孫の佐伯健太郎は、祖父宮部久蔵に誇りを持つことができ、その血が流れていることに勇気をもらう。自暴自爆気味になっていた自分を猛反省し、再び司法試験の勉強にチャレンジすることを決意する。
現代の若者は、旧日本兵の孫に当たるわけで、武士道精神が根付いた祖国思いの兵士だったことに誇りを持つことができる。
「永遠のゼロ」は、そんな日本人の祖先に誇りを持てない自信喪失の現代の若者に勇気と希望を与えてくれる素晴らしい映画と言えます。年末年始の一押しの映画です。
帰りのエレベーターの中では、全員涙でまぶたを腫らしていました。
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
大ベストセラー書「永遠のゼロ」は、2年ほど前に友人から紹介され直ぐに購入したのですが、600ページ近い大作だったので積ん読のままでした。
最近、「永遠のゼロ」がベストセラー書であることを知り、やっと読む決意をしました。
するとその翌々日に、別の友人から映画「永遠のゼロ」が感激のドラマであることを知り、早速本日観劇に行きました。
この情報の流れ、引き寄せの法則にびっくりしています。
映画の中で1箇所「太平洋戦争」という言葉を使っていました。
「太平洋戦争」という用語は米国側から見た用語で、当時日本人は「大東亜戦争」という用語を使っていたので、この部分だけ違和感を覚えました。
「太平洋戦争」は、GHQマッカーサーが、自虐史観を日本人に植え付ける一環として日本人に強要した用語で、「大東亜戦争」の使用を禁止しました。そして、いつの間にか「大東亜戦争」という用語は使われなくなり、「太平洋戦争」という言葉にすり替わってしまいました。
「大東亜戦争」は、米国による人種差別の撤廃とアジアの平和を希求する大東亜共栄圏の為にたかった戦争という位置づけで大東亜戦争と誇りを持って読んでいました。
「大東亜戦争」という用語が復活し、太平洋戦争の代わりに市民権を得て、我々の祖先に誇りを持ち、そして、自虐史観が払拭されたときに、日本人の戦後は終わったと言えるのではないでしょうか。
その意味で、映画「永遠のゼロ」は、我々の祖先に誇りを持たせるきっかけを与えてくれる素晴らしい映画ではないかと思います。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
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コメント
私も「永遠の0」を観ました。
「特攻隊」の映画でした。
「九死に一生ではない、十死に0生なのだ」
泣けました。
愛する家族に「自分が生きていなくても必ず帰ってくる」と約束をしました。
自分の人生にふりかかってきた運命、どうしても避けられない状況をどう克服するのか。
“自我”を優先せず“無我”の境地で結論をだす。
自分の死が全ての終わりではなく、生きて残った人に託す。
たとえわずかな可能性でも祈りを込めてそれに賭ける。
唯物論者には理解出来ない答です。
「私達日本人は失ってはならない価値観がある」
その価値観を残そうとして選んだ宮部の生き方は素晴らしいものです。
68年の間にどれだけの価値観が残っているのでしょうか。
GHQによる思想改革作戦
“憲法9条が日本を守っているのではない”と言うことがよく理解できました。
考えさせられますね。
投稿: はっちょ | 2013年12月27日 (金) 11時14分