「マーキュリー通信」no.2356【松井証券松井道夫社長の「見切り千両」のスピーチから多くの学びを頂きました】
第7回一橋新経済人倶楽部(3月6日開催)は、松井証券代表取締役松井道夫社長の「見切り
千両」の話でした。25年に及ぶオーナー経営者の悪戦苦闘の中から出てきたスピーチだけに私
だけでなく一橋新経済人倶楽部参加者全員が大きな学びを得ることができました。
松井社長は、高校時代好きな絵で身を立てようと東京芸大を目指しましたが、高三の夏、恩
師から「おまえには才能がない」と言われ、已む無く浪人して一橋大学に入りました。
1976年(昭和51年)日本郵船に入社しました。当時第1次オイルショックの後だったため、新入社員は大幅減の10名でした。社長になる確率が高いからというのが、志望動機だったそうです。
しかし、その後、奥様の実家(一人娘)松井証券に1987年入社することになりました。数年の見習い期間を経て90年代初頭から実質社長を務め(名目は1995年)社内外を問わず思い切ったリストラに挑戦しました。
松井道夫さんは、入社直後から岳父に会社経営を全て任されました。その際の言葉が「おやんなさいよ でも つまんないよ」。大蔵省に支配された業界を皮肉った言葉ですが、郵船同様に自由化が将来必ずあると確信して進めたリストラに対しても「おやんなさい あんたの責任でね」。40年間ひたすら独立を守って社長を務めていた岳父ならではの言葉で、現在に至るまで松井社長の経営哲学となっています。
証券営業は、顧客にいろいろな銘柄を推奨し、迷惑がられる営業マンも多数いました。又、証券営業マンの推奨する銘柄で損をする顧客も多数いました。こういう業界の悪弊を一掃するために、営業本部長時代「証券営業部門を廃止する」という業界で衝撃的な宣言をします。その代わり、女性中心のコールセンターを立ち上げます。当然、顧客に対して勧誘営業は一切しません。当時30代後半だった松井社長のこの発言に対し、社内外から袋だたきに遭い狂人扱いされます。当時フルコミッションの営業マンも含め200人近い社員は、その多くが顧客を連れて他社に逃げ、「そして誰もいなくなった」状態になります。でも、営業しない証券会社という評判が全国に広がり、コールセンターを軸に業容はむしろ拡大していきます。
その後、自由化の際、業界の意向に逆らって手数料を法定手数料の1/3にすると宣言し実行してしまいます。コスト構造が違うから出来たことです。自由化と同時に電話を捨て、インターネットに替えてから、コスト構造は対面営業証券会社と比べて比較にならないくらい変わった結果、現在のネット証券ビジネスが確立していきます。現在個人投資家の売買の9割以上がネット取引となっています。売買金額は年間300兆円。そのうち40兆円が松井証券経由ですが、松井社長が跡を継いだ頃の年間1500億円と比べて300倍くらいになっています。
手数料率が下がっているので利益は10~20倍程度ですが、社員数も減っているので(現在120人)、年間の社員一人当たりの支払い法人税額は1億円を超えるそうです。そんな会社、日本、いや、世界中探してもあまりないでしょう。
松井社長は、これまで先代が築き上げた遺産を捨て、「見切り千両」の決意で「証券営業部門の廃止」に踏み切ります。 これは一橋大学でも高名な経済学者シュンペーターの「創造的破壊」ともいえます。禅の言葉でいえば「坐忘」です。新しいモノは古いモノを捨てた余白に入ってくるからドンドン捨てろという意味です。
最近、松井社長は、社員に臨時ボーナスを社員平均で100万円出すと発表し、世間の話題となっています。これにより社員の平均年収は3割アップするそうです。でも、経営的には大したコストではないと言い切っています。日経ビジネス3/10日号「ベースアップは時代遅れ:一人当たり利益の最大化を」で、その趣旨を表明していますが、独特の「組織と個」の関係論に根差したものであることは間違いありません。これを「給料をもらって働く」時代から「働いて給料を稼ぐ」時代への移行という言葉で説明しています。
松井社長は、1つのビジネス・モデルは10年程度で陳腐化していくと考えています。それは他社が真似し、過当競争となり、収益性がなくなってくるからです。いわゆる世で謂う「コモディティー化」です。
現在、デイトレイダーを相手に一日信用取引というもので、手数料ゼロ・金利ゼロという誰もが疑問に思う施策を実行中ですが、その先には、これまでに無い発想でのビジネス再構築案があるようです。 ※本ビジネス・モデルの内容は2次会で松井社長からアイデアを伺いましたが、ここではふせておきます。
松井社長は、最大のコストは、会社のビジネス・モデルが時代環境と合わなくなること、そのギャップが致命的なコストだと考えます。これが見抜けない社長は、無能と言わざるを得ません。
松井社長は、会社の存続発展で一番重要なのは社長の頭の中の金利だと考えます。
これをDCF(Discount Cash Flow)理論で表現しています。つまり、社長の頭の中の金利が10%なら、現在価値は将来の価値と比べ、毎年福利で10%減価していくので、会社の収益力も毎年10%減少していきます。債券価格と同じです。逆に金利が低ければ低いほど、会社の収益力は安定して推移していきます。
その為にも、将来を見越して新しいビジネス・モデルを構築していくことが求められます。これができない社長は退陣していくべきと考えます。コーポレイト・ガバナンスとは、そうした社長の任命・罷免の仕組みがポイントだと説明しています。
今月61歳になる松井社長ですが、まだ後継者問題は考えていないそうです。
松井社長は、次のビジネス・モデル開発に意欲を燃やしています。それができなくなったときが退陣の時だと考えています。
高校生の頃、画家志望だった松井社長は、現在でも好きな油絵を頭の中のキャンバスに描きながら、新たな発想でチャレンジを続けています。
今回、松井社長のチャレンジング精神と感性から多くのことを学ばせて頂いたことに感謝しております。
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
松井社長が日本郵船から松井証券に転職したのが1987年。奇しくも丁度私が三井物産の企業内ベンチャー起業家としてテレマーケティングの新会社もしもしホットラインを立ち上げたときと同じ頃です。
私ももしもしホットライン出向中に、新たなビジネス・モデルを構築しました。
当時もしもしホットラインはアウトバンド業務が弱点でした。そこで、私は当時1億円するコンピューター・オートコール・システムを5千万円に値切り、社内導入に踏み切る提案をしました。
しかし、「アウトバンド業務は儲かっておらず、コンピューター・オートコール・システムの
導入は時期尚早」と、全役員の猛反対に遭いました。
そこで、私は社長に直訴し、同システムを導入することとなりました。
同システム導入当初は、リース料が各営業部の負担となりましたが、アウトバウンド業務黒字化のため、営業部ではアウトバウンド営業に全力投球したため、直に黒字となり、その後のもしもしホットラインの収益の柱となりました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
| 固定リンク | 0
« 「マーキュリー通信」no.2355【ワンポイントアップの経営術-87「グロースハッカー・マーケティングが今後注目される」】 | トップページ | 「マーキュリー通信」no.2357【本日は東日本大震災から3周年】 »
コメント