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2014年8月26日 (火)

「マーキュリー通信」no.2470【ワンポイントアップの人間力-55「両親に対する反省、 感謝を深める」 】

20~23日に夏期休暇を取り、田沢湖の研修施設(田沢湖正心館)で、「秘伝・三途の川

瞑想」を受けてきました。
その中で、「両親に対する反省と感謝」の瞑想研修も受けました。

人は生まれる前に、今世の自分の人生計画を立てます。その際に最重要の選択が、どの

親の下で生まれるかです。どの親を選ぶかで自分の人生とその後の人生計画、そして自

分の性格にまで多大な影響を与えます。そのことが今回の瞑想研修でよく分かりました

私の場合、実に波瀾万丈の人生スタートでしたが、それもこの両親を選んだからこその

人生だったのだと改めて気づかされ、改めて両親に感謝しております。

私の父は、瀬戸物の卸商を営んでおり、私は裕福な菅谷家の長男として目黒区祐天寺で

生まれました。
しかし、私が1歳の時に父は株でだまされ、家業は倒産し、貧乏のどん底へと落ちます。

父は祐天寺の家を売り払い、母の実家の調布の敷地内に、6畳一間の家を建てます。

父は倒産のショックで仕事をせず、代わりに競輪にうつつを抜かす毎日でした。家計は

火の車で、母は過労で私が5歳の時に他界します。

翌年、父は私と1歳年下の妹を残して、家出をしてしまいます。

残された2人は、実家の祖母が引き取り、祖母が母親代わりに教育してくれました。祖母

からは質素倹約の大切さを学びました。それが現在の自分の金銭哲学となっています。

もし、調布の実家の敷地に引っ越ししていなければ、幼い二人は発見されずに死んでい

たかもしれません。この流れを作ってくれたのが母でした。

実家はいわゆる町の自転車店を営んでいました。伯父さん夫婦(母の兄で長男)には子

供がいなかったので、普通なら私が養子となり自転車屋の跡取りになるはずでした。

しかし、10年後、私が高校2年生の時に、父が家出から突然戻ります。そこで、私の跡取

りの話はなくなりました。

当時の父は、肉体労働者で着の身着のままの格好で所持金は殆どありませんでした。
その時の父を見て、「絶対父のようにはならない!その為には一所懸命勉強して、将来

日本の国を背負って立つような人間になりたい」と誓い、「世界を股にかけるビジネス

マンになる」という夢を抱きました。私は父のことを恨んだことは一度もありませんで

したが、私にとって父は反面教師でした。

さて、父と私と妹の3人は、同じ敷地内の貸家がたまたま空いていたので、ただで住むこ

とができました。これも母のおかげです。

これまで父のことを反面教師とずっと思っていました。しかし、父の側から見ると、1歳

の時に倒産していなければ、母は私が5歳の時に過労で死ななかったかもしれません。
もし、母が生きていれば父は家出をしなかったと思います。

そういう筋書きなら、私は裕福な家庭のぼんぼんで育ち、「世界を股にかけるビジネス

マンになる」という夢など持たなかったかもしれません。そして、自立心旺盛な子供に

は育っていなかったと思います。

そう考えると、父の人生は、自らを犠牲にして、私の為の人生のレールを敷いてくれた

とも言えます。そう思うと父に対する感謝の念が湧いてきました。

父は、私が高校2年生の時に家出から戻ってきましたが、自転車店の実家では大学受験勉

強をする環境にはありませんでした。町の自転車屋にとって学問など不要という家風で

した。

ですから父は、私の大学受験時期に合わせて家出から帰って来るという絶妙なタイミン

グでした。父が帰ってこなければ、自転車屋の養子となり、家業を継いでいたかもしれ

ませんでした。

父は、私の受験勉強期間中とても気を遣っていました。ストーブも買えないほど貧乏で

したが、父は私の為になけなしの金をはたいて電子ブーツを秋葉原で買ってきてくれま

した。
父や妹の気遣いのおかげで私は大学受験勉強に集中でき、一橋大学商学部に現役で合格

できました。貧乏のため浪人は許されなかったので、もし落ちたら伯父の縁故で調布市

役所に就職することになっていました。

私が三井物産に入社してから父は私に「おまえの世話には一生ならない。だからおまえ

の好きなように生きろ」と言いました。

父は私の勧めで再婚し、八王子で夫婦仲睦まじく暮らしています。現在91歳の父ですが

、寝たきり認知症老人にならず世話をかけない父親です。まさに有言実行で子供に迷惑

をかけていません。そういう生き方の父に感謝しています。そして父を40年に亘って支

えてきた継母にも感謝しています。

私の人生を振り返ったときに、多くの方の犠牲に支えられ今日の自分があることを改め

て知り、感謝の思いを深くしました。

だからこそ私の残りの半生は報恩の人生を生きていきたいと思っています。

◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆

こんなひどい親の下に生まれて自分は不幸な人生だったと嘆く人を時々見かけます。し

かし、逆の見方、即ち「両親は自分が選んで生まれてきた」という見方をしてみたらい

かがでしょうか。

逆の見方をすると親を決して恨むことはなくなります。
たとえDV(家庭内暴力)で子供の頃、親の虐待を受け、親を恨んでいたことも、それは

自分の魂を鍛えるために敢えて厳しい親を選んで生まれてきたのだ思うと親に対する違

った見方ができるようなります。そして、親への感謝さえ生まれてきます。

何不自由なく生まれ育った場合、大人になって苦労します。だから子供の頃に敢えて厳

しい環境で育った方が、魂を鍛えられ、大人になってからの成長にプラスとなって働く

ことも多々あります。

自分の両親との関係を、生まれてから反省してみると別の見方ができ、感謝の念が湧い

てきます。

その時に一皮むけた自分を発見することになると思います。


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