「マーキュリー通信」no.2770【「創レポート」9月最終号「重大事故を未然に防ぐ「ヒ ヤリ・ハット」】
毎月大好評の公認会計士伊藤隆先生の「創レポート」をお届けします。「創レポート」
は今月が最後で、来月からはメルマガ形式になります。
長年に亘り「創レポート」からは大きな学びを得ましたことを伊藤隆先生には心から感
謝申し上げます。
さて、今月の「創レポート」は、リスク・マネジメントです。
会社経営をしていけば必ずリスクを伴います。そのリスクをいかに最小にするのかが経
営者の仕事です。
【1】重大な事故を防ぐ「ヒヤリ・ハット」
1》リスクの過小評価
誰しも、何らかの被害が予想される状況下にあっても、自分に都合が悪い情報は無視
したり、「自分は大丈夫」などと、リスクを過小評価してしまった経験はないでしょう
か。確かに、運が良いと思えることもありますが、その過信が命取りになるケースもあ
ります。
2》未然に防ぐ機会はある
ここで「ハインリッヒの法則」からヒヤリ・ハットをご紹介します。
ヒヤリ・ハットとは、重大な事故が発生した際に、その前に多くの「ヒヤリとするこ
と」「ハットすること」が潜んでいるものだという警告です。ですから、重大事故を防
ぐには、ヒヤリ・ハットを放置せずに、改善に努めることが求められます。
1件の大きな事故・災害の裏には29件の軽微な事故・災害があり、300件のヒヤリ・ハ
ット(事故には至らなかったもの)があるとされます。ですから、重大事故が起きる前
に、それを未然に防ぐ機会はたくさんあったということです。
3》偶然?
そう考えると、今までの自分の経験は、偶然悪い方向に転がっていないだけかもしれ
ません。この「偶然」は、もちろんビジネスにおいても存在しています。今月はこの「
偶然」に対処したある電子部品メーカーの事例をご紹介します。
【2】電子部品メーカーA社
1》ベンチャーの走りA社
A社はある地方都市に本社をおく電子部品メーカーです。創業者が大学在学中に抵抗
器についての特許を取得したことを契機に創業された会社です。
今で言うなら、A社はベンチャーの走りでした。同級生が集まって資金も乏しいなか
で立ち上げた会社は、40年の時を経て従業員200人超を擁するまでに成長しています。
現在はLSI(集積回路)、ダイオード、LED、抵抗器などが主な商材です。特にLSIに関
しては、顧客の要望に応じて仕様を変えるカスタムLSIが大きな売上になっていますが、
これは二代目のA社長が始めた事業です。
2》忙しい日々のなかで
二代目A社長が会社を継いで5年目を迎えようとしています。代替わりしてからも売
上は堅実に伸ばしてきましたし、新たな事業の展開も順調です。
A社には目立った不安は見当たりませんが、日々何かしら対処すべきことはあるもので
す。それはA社長にとって心地良い時間でもありました。
会社が動いていることを実感できたからです。
ただ、忙しいなかにも息抜きは必要です。A社長が屈託なく没頭できるのは、書斎に
こもって科学雑誌を読み耽(ふけ)る時間でした。
3》至福の時間
先代もそうでした。科学に没頭した末に起業したのがA社だったように、その血は息
子のA社長にも脈々と受け継がれていたわけです。
ソファーに身を沈めて、さまざまな科学の最新トピックに目を通すのが今も昔も変わ
らずA社長の至福の時間でした。
遡ること十数年、絶えずA社長の関心の的であったのは、小惑星探査機「はやぶさ」
の動向でした。はやぶさが打ち上げられたのはA社長がまだ大学生のころでした。
【3】綱渡りなプロジェクト
1》小惑星探査機はやぶさ
大学生だった自分が父親の跡を継いで会社の経営者となった今、はやぶさはミッショ
ンの最終段階に至ろうとしていました。A社長は感慨深くはやぶさの軌跡を想像したも
のです。
ご存知でしょうが、ここで小惑星探査機はやぶさについて説明します。M-Vロケッ
ト5号機によって打ち上げられたはやぶさは、2年4ヶ月後に小惑星イトカワと同一軌
道上に到達しさまざまな観測を行ないました。
次に探査機本体が自動制御によりイトカワに接地、小惑星表面の試験片を採集しまし
た。
しかし、接地時の問題から不具合が生じ、予定されていた日程を大幅に遅れながらも
、2010年6月に60億キロの旅路を終えて帰還したのです。
2》はやぶさの映画を観て
もちろんA社長は我が事のように歓喜しました。世間の反応も同様でした。帰還から
数年の間に、はやぶさを題材とした作品が数多く発表されました。
A社長はそのなかのひとつ、映画作品を観に出かけたといいます。旅路を共にするよ
うにしてスクリーンに食い入っていたA社長ですが、途中から違和感を覚え始めたそう
です。
映画を観終わってみると、違和感の正体がはっきりしました。はやぶさプロジェクト
が賛美一色であることに危機感を感じたのです。
3》科学者の目
映画だから……という見方もできました。しかし、科学者であるA社長にはそれが許
せなかったのです。
たしかに、はやぶさはミッションをやり遂げて地球に帰還しましたが、つぶさに軌跡
を追ってきたA社長はこのプロジェクトがいかに綱渡りであったかを知っています。世
の風潮にはその視点が欠けているようにA社長は感じました。
【4】成功は「偶然」?
1》プロジェクトは成功?
いや、正確に言うなら、プロジェクトが綱渡りであったことを、そのまま感動の増幅
装置に仕立て上げていることの危険性です。
科学者の目で見れば、このプロジェクトは明らかな失敗がいくつも積み重なっていま
す。しかし一般的な評価は「幾多の困難を乗り越えて成功させたプロジェクト」となっ
ています。
このことに気づいたA社長は、映画館からの帰り道であったにも拘らず、思ったこと
は「自社の事業を一から見直してみよう」というものだったそうです。
2》成功は「偶然」ではないかという自問
現在、A社の経営は順調です。言ってみれば、プロジェクトは成功裏に進みつつある
ということです。
「ただそれは、一点の曇りもない成功だっただろうか?」
A社長の胸に浮かんだ思いはこれでした。
実は知られていませんが、集積回路の製造過程では、ガリウムや砒素(ひそ)といった
有害物質が用いられます。A社では毎日集積回路が製造され、有害物質を取り扱いなが
らも、事故なく製品が出荷されています。
その成功は「偶然」ではないのか?
いくつもの失敗を重ね、綱渡りを繰り返しながら、
たまたま成功に見える結果の集積で今を過ごしているのではないだろうか……。
3》A社の検証
A社長は週明けの翌日から早速、製造過程のすべてにおいて従業員の行動の見直しを
命じました。部門長の立ち会いの下、マニュアルにそった動きが取れているか、その動
きはどんな意味をもっているかが確認されたのです。
3日間におよぶ検証の結果、はたして従業員の行動にはいくつものマニュアル違反が
見られました。動きは合っていてもその意図を理解していない例もありました。
A社長の不安は的中したのです。
【5】自社は大丈夫と思い込む危険性
1》違反はやっぱりあった!
ISOの審査にはマニュアル通りに臨むのですが、それが済むと従業員が自分なりのやり
方に戻ってしまっていました。マニュアル違反は実際のところ軽微ではありましたが、
どんなに小さな違反であっても、積み重なれば品質管理に重大な欠陥を及ぼします。
ましてや、A社は有害物質を製造過程で用いています。取り扱いを間違って事故が起
これば、A社の信用問題に発展します。
そして何より問題なのは、従業員が少しぐらいの違反をしても製造に何の影響もない
と思い込んでしまうことです。
A社長自身、製品がつつがなく出荷されている結果だけをみて、自社には何の問題も
ないと思い込んでいました。
2》過小評価の危険
しかし、そこにはいくつもの問題がありました。言ってみれば、A社もはやぶさと同
じように、その「成功」も綱渡りで、失敗の連続の上の「偶然」にあったのです。
何らかの被害が予想される状況でも、都合が悪い情報を無視したり、「今回は大丈夫
」と過小評価してしまうのです。
以来、A社長は陣頭指揮を執り、製造過程における従業員一人ひとりの行動の見直し
作業に集中する日々を送っています。新人もベテランも、意識と行動は大きく変わりつ
つあるようです。
3》結果だけでなく、過程も
A社長が気づいたように、はやぶさに対する評価はまさにこれでした。失敗続きだっ
たにも拘らず、それらを感動を生むための道具に仕立て上げ、困難を乗り越えた成功プ
ロジェクトにすり替えてしまったのです。
しかし、成功だけを見て、過程の失敗を無視してしまうことはどの業種でも常に起こ
りうることです。
いかに今がうまくいっていても、結果だけでなく、冷静に過程を再検証するのは将来
のために有意義ではないでしょうか。
◆◆◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆◆◆◆
顧問先株式会社フリーエンタープライズが商品開発した5分で細菌量を測定できるバクテ
スターON-1という測定機器を食品関連業界に紹介しています。
バクテスターON-1を利用すれば、食中毒を未然に防げるのですが、現在の品質管理工程
に一手間加える必要があります。
万一食中毒が起きた時の企業のイメージダウン、売上への影響を考えると、私が品質管
理の責任者なら直ぐにでも導入したい商品ですが、日本企業のリスク・マネジメントに
対する関心度合いは、総論賛成、各論消極的のようです。
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